【動画解説】米軍が最大の敬意を示した日本兵「石野節雄」|敵兵が「英雄」として葬られた実話

18/11/2025


 

コメントできるようになりました 織田信長

kawauso編集長

 

太平洋戦争末期、神風特攻隊として散った一人の日本兵が、敵国アメリカ軍によって「英雄」として、最大限の敬意をもって葬られていました。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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特攻隊員「石野節雄」の突入

 

大東亜戦争末期の1945年4月11日、沖縄の空で「石野節雄」二等飛行兵曹は、神風特別攻撃隊としてアメリカ軍の戦艦ミズーリ号に直進しました。激しい対空砲火の中、石野の零戦はミズーリ号の司令塔へと向かい、機体は衝突しました。

 

  • 石野節雄二等飛行兵曹は、零戦に乗り特攻隊として戦艦ミズーリ号に突入しました。
  • 機体は激突しましたが、搭載されていた250kg爆弾は不発に終わりました。
  • この衝撃で、石野兵曹の上半身だけが甲板に残されました。

 

 

敵艦長が命じた「最も丁重な儀礼」

 

戦艦ミズーリ号の艦長ウィリアム・キャラハンは、石野兵曹の勇敢な姿に深く心を打たれました。「敵兵でも死してのちは敵ではない。彼は祖国のために命を捧げた英雄だ」と述べ、彼を最も丁重な儀礼で葬るよう命じたのです。

 

  • 石野兵曹の遺体は、米兵たちが手作りした「旭日旗」に包まれました。
  • 儀礼では礼砲5発が鳴り響き、米兵たちは深い敬意を込めて石野兵曹に敬礼を捧げました。

 

 

【まとめ】敵国の兵士が認めた「英雄」への敬意

 

戦艦ミズーリ号のキャラハン艦長は、たとえ敵であっても、祖国のために命を捧げた石野兵曹の姿を「英雄」と認め、最大の敬意をもって水葬しました。このエピソードは、戦争という極限状態の中にも確かに存在した、国境を超えた武人への敬意を示しています。

 

 

Q&A:よくある質問

読み書きができた紫式部(はてな)

 

Q. アメリカ軍はなぜ日本の特攻隊員を丁重に葬ったのですか?

 

A. 戦艦ミズーリ号の艦長が、石野兵曹の勇敢な姿に心を打たれ、「彼は祖国のために命を捧げた英雄だ」と判断し、最大の敬意をもって葬るよう命じたためです。

 

 

Q. どのような儀礼が行われたのですか?

 

A. 石野兵曹の遺体は、米兵が手作りした旭日旗(赤い太陽と16本のラインが描かれた旗)に包まれ、礼砲5発が鳴り響く中、米兵たちの敬礼を受けて水葬されました。

 

 

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