織田信長による「比叡山焼き討ち」は残虐な行為として知られていますが、実は当時の延暦寺は、誰からも嫌われる「仏教ヤクザ」と化していました。
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金儲けに走った堕落した僧侶たち
元々、比叡山延暦寺は国の安寧を守る宗教勢力として、税金を免除され、自給自足のための土地を与えられていました。しかし、農業をしたこともない僧侶たちは、次第に土地を貸し出して不動産業に手を出し始めます。さらに、儲けたお金で金融業(金貸し)を始めたり、お寺の改修費用という名目で各地に関所を作り、通行人から銭を徴収したりと、金儲けに走っていきました。
- 本来は国の平和を祈る宗教勢力でしたが、不動産業や金融業を始めて利益を追求しました。
- 各地に関所を作り、通行税を徴収するなどして資金を集めました。
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暴力と脅しで人々を苦しめた「仏教ヤクザ」
巨大化した延暦寺は、お経も読めないようなコワモテのチンピラに僧侶の格好をさせ、借金の取り立てを行わせました。彼らは大貴族の屋敷であっても構わず押し入り、金目のものを奪うなど、まさに「仏教ヤクザ」そのものでした。また、自分たちの利益を守るためには手段を選ばず、神輿(みこし)を担いで朝廷に押しかけ、「言うことを聞かないとバチが当たるぞ!祟りじゃ!」と脅迫まがいの行為を繰り返しました。
- チンピラのような僧兵を使い、暴力的な借金の取り立てを行いました。
- 朝廷に対しても「神罰」や「祟り」を盾に脅しをかけ、自分たちの要求を通そうとしました。
- 勢力を伸ばしていた浄土真宗にも因縁をつけ、寺ごと町を焼き払うなど、やりたい放題でした。
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【まとめ】庶民から「毛虫」のように嫌われた延暦寺
当時の延暦寺は、仏の道を説く聖職者集団ではなく、暴力と金銭欲にまみれた一大武装勢力でした。そのため、庶民からは「毛虫」のように嫌われていたといいます。信長による焼き討ちは、こうした腐敗しきった権威に対する鉄槌だったのかもしれません。
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Q&A:よくある質問
Q. なぜ延暦寺はお金儲けを始めたのですか?
A. 自給自足のために与えられた土地を自分で耕作せず、貸し出して利益を得ることを覚えたのがきっかけです。そこから不動産業、金融業へと手を広げていきました。
Q. 「仏教ヤクザ」とは具体的に何をしたのですか?
A. 僧侶の姿をした荒くれ者が、暴力的な借金の取り立てや、朝廷への強訴(脅し)、他宗派への焼き討ちなどを行いました。
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