「まさかり担いだ金太郎」は、大人になってからの実績よりも、幼少期のド派手なエピソードだけで全国区になった、伝説のバズり少年でした。
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実在のモデルは平安後期の武将「坂田金時」
昔話でおなじみの金太郎ですが、実は実在の人物がモデルです。大人になってからは「坂田金時(さかたのきんとき)」と名乗り、その怪力を見込まれて、平安時代の英雄・源頼光(みなもとのよりみつ)の家来となりました。頼光四天王の一人として、妖怪退治や酒呑童子(しゅてんどうじ)討伐などで大活躍したとされています。
- 金太郎は実在した人物で、大人になってからは「坂田金時」と名乗りました。
- 源頼光に見出され、頼光四天王の一人として数えられるほどの武将になりました。
- 妖怪退治などで活躍しましたが、世間の知名度は圧倒的に子供時代のエピソードの方が有名です。
地頭がよくなり 生きる力がつく 日本の昔ばなし25/西東社/高濱正伸
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なぜ「子供の日」のシンボルなのか?
端午の節句(子供の日)になると金太郎人形が飾られますが、その理由は「元気で優しい子に育ちますように」という願いが込められているからです。年中赤い腹掛け一枚で風邪も引かず、野生の熊と相撲をとって勝つほどのパワー。確かに「元気」の象徴としてはこれ以上ない存在ですが、現実にいたらちょっと心配になるレベルかもしれませんね。
- 金太郎人形には、子供が金太郎のように元気で優しく育ってほしいという願いが込められています。
- 赤い腹掛け一枚で過ごし、熊と相撲をとる姿は、健康と強さの象徴です。
【まとめ】幼児期のインパクトが強すぎた英雄
金太郎こと坂田金時は、立派な武将として活躍した実在の人物でした。しかし、世間のイメージはずっと「熊と遊ぶ赤い腹掛けの男の子」のまま。幼少期のインパクトが強すぎて、大人になってからのイメチェン(?)には失敗してしまったのかもしれません。
Q&A:よくある質問
Q. 金太郎のモデルになった人物は誰ですか?
A. 平安時代後期の武将、坂田金時(さかたのきんとき)です。源頼光に仕え、頼光四天王の一人として知られています。
Q. 金太郎は何をした人ですか?
A. 子供の頃は足柄山で熊と相撲をとるほど元気な少年でした。大人になってからは、源頼光の家来となり、大江山の酒呑童子退治などの伝説を残しました。
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