広告

【動画解説】戦国時代のリアルな戦いはレスリングのようだった|映画とは大違い!鎧のせいで地味な戦法に?


 

コメントできるようになりました 織田信長

羽柴秀吉によって滅亡した河野水軍と河野通直

 

映画で見る戦国時代の戦いは華やかですが、実際の合戦は鎧の隙間を狙う、レスリングのような地味なものだったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



映画とは違う!地味な戦い方が主流だった理由

日本史01 織田信長のポイント解説

 

当時の鎧「当世具足(とうせいぐそく)」は、重さ20kg程度と比較的軽量でしたが、鉄板などで作られていたため防御力が非常に高かったのが特徴です。映画のように刀や槍で斬りつけても、なかなか歯が立ちませんでした。

 

  • 熟練の武者なら鎧を着たまま泳ぐこともできたと言われています。
  • しかし、体の動きは制限されるため、映画のような派手なアクションは困難でした。
  • 鉄板を使用した鎧には、刀や槍の攻撃が通用しにくかったのです。

 

 

狙うは鎧の隙間!レスリングのような白兵戦

日本史02 徳川家康のポイント解説

 

鎧の防御力が高すぎたため、敵を倒すには鎧の隙間を狙うしかありませんでした。首回り、脇腹、脇の下といったわずかな隙間を「短刀」で突く必要があったのです。必然的に、相手に密着して抑え込み、動きを封じてから仕留めるという、レスリングのような泥臭い戦い方が主流になりました。

 

  • 敵を抑え込んで動けなくするのが先決でした。
  • 鎧の隙間を短刀で突き刺してとどめを刺しました。
  • 重い兜を利用し、刀の柄(つか)で相手の兜をガンガン叩き、脳震盪を起こさせて首を取る技も存在しました。

 

はじめての戦国時代

 

 

【まとめ】戦国のリアルな戦いは「泥臭い」サバイバル

映画とは大違い!戦国時代のリアルな戦い サムネイル

 

映画のような華々しい一騎打ちとは異なり、実際の戦国時代の戦いは「いかにして強固な鎧を無力化するか」という、地味で泥臭いサバイバル術でした。鎧の重さを利用したレスリングのような戦術こそが、当時のリアルだったのです。

 

47都道府県戦国時代

 

 

Q&A:よくある質問

 

Q. なぜ戦国時代の戦いはレスリングのようだったのですか?

 

A. 当時の鎧「当世具足」が非常に強固で、刀や槍が効きにくかったためです。相手を抑え込んで動きを封じ、鎧の隙間を短刀で突くのが最も確実な戦い方でした。

 

 

Q. 鎧はどれくらいの重さだったのですか?

 

 

A. 動画で紹介されている「当世具足」は、約20kg程度だったとされています。これは熟練者なら着たまま泳げるほどの重さでしたが、動きはかなり制限されました。

 

 

 

▼ショート動画も毎日更新中!

ほのぼの日本史」YouTubeチャンネルもぜひチェック

 

ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

 

-戦国時代