広告

【動画解説】江戸時代の武士は暇で貧しかった|戦争がなくなり副業で生計を立てた実態


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

剣術を磨くため江戸にいた19歳の坂本龍馬

 

 

江戸時代の武士は、実は暇で貧しく、生活のために「副業」で生計を立てていました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



なぜ武士は「暇」になったのか?

安藤信正(幕末)

 

江戸時代、日本には人口3000万人に対し200万人もの武士がいました。これは、戦国大名が「いつ戦が起きるか分からない」と無理して多くを雇った名残りです。しかし、平和な江戸時代が訪れ戦争がなくなると、多すぎる武士が藩の財政を圧迫し始めました。そこで始まったのが、武士の「パートタイム化」でした。

 

 

  • 戦国大名が戦に備えて、必要以上に多くの武士を雇っていました。
  • 平和な江戸時代になり、武士の仕事が激減すると、彼らの給料(お米)が藩の財政を圧迫しました。
  • その結果、出勤体制が「1日働いて3日休み」のような、極端な短時間労働(パートタイム化)になりました。

 

関連記事:幕府が禁じた春画の魅力とは?江戸庶民が熱狂し、笑いと色気が詰まった歴史

 

 

暇だけど「貧しかった」武士の暮らし

幕末_橋本左内

 

「1日出勤で3日休み」と聞くと羨ましく聞こえますが、実態は深刻でした。武士はパートタイマー扱いなので、働かない日の給料はゼロ。つまり、死ぬほど暇であると同時に、収入も非常に少なかったのです。

 

  • 生活に困った下級武士たちは、生きるために「副業」を始めました。
  • しかし、武士の体面に関わるとして、顔出しが必要な商売は禁止されていました。
  • そのため、朝顔や鈴虫の飼育、野菜作り、傘張り、虫かご作りといった「内職」が主な副業でした。

 

関連記事:江戸時代の浴場は混浴だった!混浴禁止への驚きの変遷

 

【まとめ】江戸時代の武士は「戦わない」公務員だった

馬に粘土を載せて運ぶ人(幕末時代)

 

動画の結論の通り、江戸時代の武士は「暇で貧しく、副業で生活」していました。戦で活躍する姿とは裏腹に、藩の財政事情でパートタイム化され、内職で生計を立てる。それはまるで、現代の公務員や、それ以上に不安定な働き方だったのかもしれませんね。

 

関連記事:江戸時代からの言葉「やばい」、その意外な起源とは?

 

 

Q&A:よくある質問

読み書きができた紫式部(はてな)

 

Q. 江戸時代の武士はなぜあんなに多かったのですか?

money(お金・宋銭)

 

A. 戦国時代、大名たちがいつ起こるか分からない戦に備えて、無理をしてでも多くの武士を雇っていたためです。

 

 

Q. 武士はどんな副業をしていたのですか?

 

A. 朝顔や鈴虫の飼育、野菜作り、傘張りなどの内職が多かったです。学問や文芸に自信があれば、寺子屋の師匠や剣術道場を開くこともありました。

 

関連記事:江戸時代の農民が支払っていた年貢は年1回じゃなかった?

 

 

 

▼ショート動画も毎日更新中!

ほのぼの日本史」YouTubeチャンネルもぜひチェック

 

ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

 

-江戸時代
-