【動画解説】戦国時代の死体処理は農民任せだった|華やかな合戦の裏側

16/11/2025


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

battle-Soldier(合戦に参戦する兵士)

 

かっこいい武将の活躍ばかりが注目される戦国時代の合戦。しかし、その裏では戦場に残された死体の処理という、とんでもない問題が発生していました。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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勝者と「落ち武者狩り」による一次処理

逃亡する兵士 日本史ver

 

戦が終わると、まず勝った側が戦場をチェックします。味方の遺体は丁重に埋葬し、敵の遺体でも名のある武将のものは、首を切って戦功報告(首実検)に使われました。しかし、無名の雑兵たちの死体は、当然そのまま放置されます。

 

  • 次にやってくるのが、「落ち武者狩り」の農民たちです。
  • 彼らは放置された死体から、鎧や刀はもちろん、時には褌(ふんどし)までも剥ぎ取っていきました。

 

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はじめての戦国時代

 

 

最終的な片付けは「農民」の仕事

自分が警護する京都で乱暴狼藉を尽くす木曾義仲軍の兵士たち

 

丸裸にされ放置された死体は、カラスや野犬に食い荒らされます。やがて死体は腐乱し、土地を汚染し、疫病が流行る原因ともなりました。こうなると、結局一番迷惑を受けるのは、戦場となった土地の農民たちです。

 

  • 農民たちは自分たちの生活を守るため、農作業を中断して腐乱した死体を片付けなければなりませんでした。
  • 近くの寺で供養し、大きな穴を掘ってまとめて埋める、といった後始末を担っていたのは、戦とは無関係の農民だったのです。

 

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【まとめ】合戦の後始末を担った農民たち

 

 

戦国時代の華やかな合戦の裏では、名もなき雑兵の死体は放置され、武具を剥ぎ取られた挙句、最後はその土地の農民たちが疫病を恐れて片付けていたのです。戦っていない農民たちが、戦の後始末という最も大変な作業を担っていたとは、なんとも皮肉な話ですね。

 

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戦国時代の都市伝説特集

 

 

Q&A:よくある質問

読み書きができた紫式部(はてな)

 

Q. 戦国時代の戦場の死体は、誰が片付けていたのですか?

日本史01 織田信長のポイント解説

 

A. 勝者が味方や有名な敵将の処理をしましたが、無名の雑兵の死体は放置されました。それらが腐乱して疫病の原因になるため、最終的にはその土地の農民たちが片付けや埋葬を行っていました。

 

 

Q. 「落ち武者狩り」とは何ですか?

日本史02 徳川家康のポイント解説

 

A. 戦場にやってきて、死体や落ち延びる武士から鎧や武具、金品などを剥ぎ取っていく農民たちのことです。時には身につけている褌まで剥がしていったそうです。

 

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