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悪辣・豪胆・冷酷無比!「本当にヤバい戦国武将」ベスト3

29/04/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

日本史 兵糧攻め

 

厳しい戦国時代せんごくじだいを生き残るためには、きれいごとだけで生きているわけにはいきませんでした。

 

明智光秀を虐める織田信長

 

 

織田信長おだのぶながの残酷な性格は有名です。

 

晩年奇行が多い豊臣秀吉

 

豊臣秀吉とよとみひでよしもエグいやり方で信長のぶながの後継者の地位を奪取しました。

 

タヌキ徳川家康

 

徳川家康とくがわいえやすの持ち味も、生前の秀吉ひでよしとの約束をことごとく反故にしたタヌキぶり。

 

徳川家康にスパルタすぎる石川数正

 

現代人ならば顔をしかめるこうした所業についても、歴史ファンならば、時代の厳しさを考慮すれば彼らの行動を安易な現代倫理などで断罪できないこと、わかりきった話でしょう。ですが!

 

討死する本多忠真

 

いくら戦国時代せんごくじだいが厳しかったとはいっても、「これはやりすぎなんじゃないの?」という戦国武将もいました。生き残るため仕方なかったというよりは、「本当に悪事が好きだった人のでは?」と疑ってしまう強烈キャラが。

 

直江兼続

 

そういう人たちについては、多分に後世の人による脚色が入っていたりして、安易に全部の「業績」を信じるのも危険なのですが、ここでは、あくまで「歴史ファンの中でのイメージ」として、いくら戦国せんごくの世だからといっても、生き方ややり方がエグすぎた、「本当にヤバい戦国武将ベスト3」を考えてみました!

 

戦国史ライター YASHIRO-ver2

 

そうです!

 

「強すぎる」という意味の「ヤバい戦国武将」でもなく、
「優秀だった」という意味の「ヤバい戦国武将」でもなく、
「本当に所業がヤバい戦国武将」3人衆です!

 

あの世でも、この3人には安易に近寄らないように注意しましょう!

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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 第三位は北九州を荒らしまわったあの猛将!

龍造寺隆信

 

まずは龍造寺隆信りゅうぞうじたかのぶです!

 

何度も何度も大名の座から引きずり落とされながらも、不屈の精神で復活し、戦国大名の座に返り咲いた人物。ついには肥前ひぜんを統一して筑後ちくごを征服し筑前ちくぜん豊前ほうぜん肥後ひごに勢力を伸ばす、北九州きたきゅうしゅうの大勢力に成長しました。ところが、一代でそこまでの業績を成した龍造寺隆信りゅうぞうじたかのぶ
最晩年に家督をいったん子に譲った頃から、むしろ冷酷な独裁者の姿を見せるようになります。

 

かつては自分の勢力がまだ弱小であると理解しており、肥前ひぜん土着の国人衆たちと協力関係を結んでいましたが、強国になるとその国人衆たちを次々に言いがかりをつけて粛清する残虐な独裁者となっていきます。

 

戦で急死する龍造寺隆信

 

そのあまりの冷酷さは国人衆のみならず家臣たちにも恐怖を与えていたようで、龍造寺隆信りゅうぞうじたかのぶが戦死した際、その首が部下に受け取ってもらえず流転するという憂き目に遭いました。死んだ途端に、部下から遺体の受け取り拒否って、どれだけ嫌われていたのか!

 

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 第二位は豊臣政権下の名門にのし上がった宇喜多家の中興の祖!

宇喜多直家

 

続いては、宇喜多直家うきたなおいえです。

 

oda-nobunaga(織田信長)

 

 

毛利家もうりけ織田家おだけの両陣営の合間で、のらりくらりと様子見をしつつ、安全なタイミングで織田側に寝返り、やがては息子の宇喜多秀家うきたひでいえ秀吉ひでよしの重臣として送り込むことに成功しました。その秀家が秀吉の天下統一の折には五大老の一人にまで取り立てられたのですから!

 

battle-Soldier(合戦に参戦する兵士)

 

関ケ原せきがはらの合戦さえなければ、宇喜多家はそのまま、日本でも指折りの名門として生き残っていたことでしょう。そんな名門を一代で築き上げたのが宇喜多直家うきたなおいえ。ただし彼の権力奪取までの道のりは、カリスマによって人々から信頼され推挙されるパターンでもなければ、戦上手によって次々に敵を撃破し地盤を固めるパターンでもなく、ひたすらに、陰謀、陰謀、また陰謀の繰り返し。

 

鬼畜の所業を行った宇喜多直家

 

根回しによる婚姻政略と、その後で姻戚関係になった相手の血筋の大物を暗殺するという、血も凍る「他家のっとり」作戦の乱打。さらには、「男色好きの相手には、美少年の刺客を送り込み、夜に男どうしで寝ている時に暗殺を決行させる」という、いろんな意味で芸が細かすぎて我々凡人には真似できない謀略まで成功させて、みごとに備前びぜんの領主となったのでした。

 

龍造寺隆信

 

龍造寺隆信りゅうぞうじたかのぶは、まだ戦場で荒々しく戦っている武人のイメージがありますが、宇喜多直家にはそういう印象もなく、とことん一人で、今夜も暗殺計画を練っている、そんなクラさを感じます。

 

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ベスト1はけっきょくこの人でしょう!茶器と一緒に爆死した最期まで見事な怪人!

松永久秀

 

第一位には、迷うことなく松永久秀まつながひさひでを挙げておきたいです。

 

口を出してくる松永久秀

 

三好氏みよしじの家臣として頭角を現しながら、最後にはその三好氏を追い出して自分が京都きょうとの実権を握った下克上の巧みさ。そして室町時代むろまちじだいの体制を考えれば常識はずれな、足利将軍あしかがしょうぐんの暗殺、はては東大寺とうだいじの大仏殿焼き討ちという所業にも手を染めています。

 

信長を裏切る松永久秀

 

そしてこの人物の何と言ってもすさまじい点は、かの織田信長おだのぶながに仕えながらも、二回も信長を裏切ったこと。

 

爆死する松永久秀

 

それが運の尽きで、ついには本拠地まで攻め込まれてしますが、その際には自城の天守閣で愛用の茶器に火薬を詰めて「爆死」するという行動に出ます。

 

爆死する松永久秀

 

かの宇喜多直家うきたなおいえも、織田信長や豊臣秀吉とよとみひでよしといったオオモノを前にしたら、たちまちおとなしくなる現実主義者でしたが、松永久秀まつながひさひでにいたっては相手が信長であっても「裏切りの虫」がウズウズするらしい、ホンモノの「ヤバい戦国武将」なのでした。

 

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 まとめ:本当に恐ろしいのは後世への記録を残せる立場になった側?

Schipperke(スキッパーキの子犬)はてなver

「本当にヤバい戦国武将」というテーマで、三名を選定してみましたが、いかがでしたか?

 

しかし、この記事の最後に、言っておかねばならないことがあります。ここで名前の出てきた三人ですが、いずれも江戸時代えどじだいにまでは生き残ることはできませんでした。

 

龍造寺家りゅうぞうじけ鍋島家なべしまけに乗っ取られ、宇喜多家うきたけ徳川家とくがわけによって断絶させられ、松永久秀まつながひさひでの血筋も織田家おだけとの抗争の中でついえています。何が言いたいかというと、龍造寺隆信りゅうぞうじたかのぶ宇喜多直家うきたなおいえ松永久秀まつながひさひでとも、後世にまで家名が続いたライバルたちの側によって、「あいつはこんなひどい男だった、こういうこともやったああいうこともやった」と、いくらでも脚色されている可能性があるということです。

 

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戦国時代ライターYASHIROの独り言

戦国史ライター YASHIRO-ver3

 

その可能性を考慮すると、本当にヤバいのは、「泰平の世にまで生き残り、そこで安全な場所からゆうゆうと過去のライバルを悪人呼ばわりできる」立場に座った人たちのほうかもしれません。

 

さて、みなさんはどうお考えでしょうか?今回、名前を挙げた三人は、多分に後世の脚色で悪者扱いされているところがあるのか?
それとも、本当に、伝説として語り継がれるだけの悪辣人生を突っ走っていた強烈キャラだったのか?
 

どうする家康

 

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YASHIRO

通説では「ダメ人物」とされている人について、史料に則しつつも「こういう事情があったのではないか?」と「弁護」するテーマが、特に好きです。愚将や悪人とされている人物の評価を少しでも覆してみたい!がモチベーションです。日本人の「負けた者に同情しがちな心理」大切にしたいと思っています
【好きな歴史人物】
南朝側の武将全員!

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