厳しい戦国時代を生き残るためには、きれいごとだけで生きているわけにはいきませんでした。
織田信長の残酷な性格は有名です。
豊臣秀吉もエグいやり方で信長の後継者の地位を奪取しました。
徳川家康の持ち味も、生前の秀吉との約束をことごとく反故にしたタヌキぶり。
現代人ならば顔をしかめるこうした所業についても、歴史ファンならば、時代の厳しさを考慮すれば彼らの行動を安易な現代倫理などで断罪できないこと、わかりきった話でしょう。ですが!
いくら戦国時代が厳しかったとはいっても、「これはやりすぎなんじゃないの?」という戦国武将もいました。生き残るため仕方なかったというよりは、「本当に悪事が好きだった人のでは?」と疑ってしまう強烈キャラが。
そういう人たちについては、多分に後世の人による脚色が入っていたりして、安易に全部の「業績」を信じるのも危険なのですが、ここでは、あくまで「歴史ファンの中でのイメージ」として、いくら戦国の世だからといっても、生き方ややり方がエグすぎた、「本当にヤバい戦国武将ベスト3」を考えてみました!
そうです!
「強すぎる」という意味の「ヤバい戦国武将」でもなく、
「優秀だった」という意味の「ヤバい戦国武将」でもなく、
「本当に所業がヤバい戦国武将」3人衆です!
あの世でも、この3人には安易に近寄らないように注意しましょう!
この記事の目次
第三位は北九州を荒らしまわったあの猛将!
まずは龍造寺隆信です!
何度も何度も大名の座から引きずり落とされながらも、不屈の精神で復活し、戦国大名の座に返り咲いた人物。ついには肥前を統一して筑後を征服し筑前、豊前、肥後に勢力を伸ばす、北九州の大勢力に成長しました。ところが、一代でそこまでの業績を成した龍造寺隆信。
最晩年に家督をいったん子に譲った頃から、むしろ冷酷な独裁者の姿を見せるようになります。
かつては自分の勢力がまだ弱小であると理解しており、肥前土着の国人衆たちと協力関係を結んでいましたが、強国になるとその国人衆たちを次々に言いがかりをつけて粛清する残虐な独裁者となっていきます。
そのあまりの冷酷さは国人衆のみならず家臣たちにも恐怖を与えていたようで、龍造寺隆信が戦死した際、その首が部下に受け取ってもらえず流転するという憂き目に遭いました。死んだ途端に、部下から遺体の受け取り拒否って、どれだけ嫌われていたのか!
第二位は豊臣政権下の名門にのし上がった宇喜多家の中興の祖!
続いては、宇喜多直家です。
毛利家と織田家の両陣営の合間で、のらりくらりと様子見をしつつ、安全なタイミングで織田側に寝返り、やがては息子の宇喜多秀家を秀吉の重臣として送り込むことに成功しました。その秀家が秀吉の天下統一の折には五大老の一人にまで取り立てられたのですから!
関ケ原の合戦さえなければ、宇喜多家はそのまま、日本でも指折りの名門として生き残っていたことでしょう。そんな名門を一代で築き上げたのが宇喜多直家。ただし彼の権力奪取までの道のりは、カリスマによって人々から信頼され推挙されるパターンでもなければ、戦上手によって次々に敵を撃破し地盤を固めるパターンでもなく、ひたすらに、陰謀、陰謀、また陰謀の繰り返し。
根回しによる婚姻政略と、その後で姻戚関係になった相手の血筋の大物を暗殺するという、血も凍る「他家のっとり」作戦の乱打。さらには、「男色好きの相手には、美少年の刺客を送り込み、夜に男どうしで寝ている時に暗殺を決行させる」という、いろんな意味で芸が細かすぎて我々凡人には真似できない謀略まで成功させて、みごとに備前の領主となったのでした。
龍造寺隆信は、まだ戦場で荒々しく戦っている武人のイメージがありますが、宇喜多直家にはそういう印象もなく、とことん一人で、今夜も暗殺計画を練っている、そんなクラさを感じます。
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ベスト1はけっきょくこの人でしょう!茶器と一緒に爆死した最期まで見事な怪人!
第一位には、迷うことなく松永久秀を挙げておきたいです。
三好氏の家臣として頭角を現しながら、最後にはその三好氏を追い出して自分が京都の実権を握った下克上の巧みさ。そして室町時代の体制を考えれば常識はずれな、足利将軍の暗殺、はては東大寺の大仏殿焼き討ちという所業にも手を染めています。
そしてこの人物の何と言ってもすさまじい点は、かの織田信長に仕えながらも、二回も信長を裏切ったこと。
それが運の尽きで、ついには本拠地まで攻め込まれてしますが、その際には自城の天守閣で愛用の茶器に火薬を詰めて「爆死」するという行動に出ます。
かの宇喜多直家も、織田信長や豊臣秀吉といったオオモノを前にしたら、たちまちおとなしくなる現実主義者でしたが、松永久秀にいたっては相手が信長であっても「裏切りの虫」がウズウズするらしい、ホンモノの「ヤバい戦国武将」なのでした。
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まとめ:本当に恐ろしいのは後世への記録を残せる立場になった側?
「本当にヤバい戦国武将」というテーマで、三名を選定してみましたが、いかがでしたか?
しかし、この記事の最後に、言っておかねばならないことがあります。ここで名前の出てきた三人ですが、いずれも江戸時代にまでは生き残ることはできませんでした。
龍造寺家は鍋島家に乗っ取られ、宇喜多家は徳川家によって断絶させられ、松永久秀の血筋も織田家との抗争の中でついえています。何が言いたいかというと、龍造寺隆信、宇喜多直家、松永久秀とも、後世にまで家名が続いたライバルたちの側によって、「あいつはこんなひどい男だった、こういうこともやったああいうこともやった」と、いくらでも脚色されている可能性があるということです。
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戦国時代ライターYASHIROの独り言
その可能性を考慮すると、本当にヤバいのは、「泰平の世にまで生き残り、そこで安全な場所からゆうゆうと過去のライバルを悪人呼ばわりできる」立場に座った人たちのほうかもしれません。
さて、みなさんはどうお考えでしょうか?今回、名前を挙げた三人は、多分に後世の脚色で悪者扱いされているところがあるのか?
それとも、本当に、伝説として語り継がれるだけの悪辣人生を突っ走っていた強烈キャラだったのか?