正義のヒーローは架空の世界だけの存在ではありません。江戸時代、飢えに苦しむ庶民のために立ち上がり、命がけで汚職政治家や強欲な金持ちに挑んだ男、大塩平八郎がいました。
この記事の目次
庶民を見捨てた役人と商人に激怒
大塩平八郎は、陽明学者であり元大阪東町奉行所の与力でした。彼は元々短気で、理不尽な出来事が許せない熱い性格の持ち主でした。そんな彼を激怒させる大事件「天保の大飢饉」が発生します。全国で餓死者が続出する中、大阪東町奉行の跡部良弼(あとべよしすけ)は、なんと自身の出世のために米を江戸へ送り、商人たちも便乗して米の買い占めを行いました。
- 大塩平八郎は不正を許さない正義感の強い元役人でした。
- 天保の大飢饉で人々が苦しむ中、奉行所は米を江戸へ流し、商人は買い占めを行って米価が高騰しました。
- 役人は何の手も打たず、庶民の苦しみを見て見ぬふりをしていました。
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「大塩平八郎の乱」勃発と結末
大塩は自らの蔵書を売って金を作り庶民に施しを与え、奉行所に米の放出を嘆願しました。さらに豪商の鴻池(こうのいけ)にも借金を頼みましたが、これら全て断られてしまいます。「人でなしめ!」とブチ切れた大塩は、弟子たちと共に大砲を持ち出し、ついに武装蜂起を計画します。しかし、計画は事前に密告されてしまい、反乱はわずか1日で鎮圧されてしまいました。
- 大塩は私財を投げ打ち、平和的な解決を模索しましたが、全て拒絶されました。
- 怒りが頂点に達した彼は、弟子と共に反乱を起こしましたが、密告により失敗に終わりました。
【まとめ】失敗しても語り継がれる正義
反乱自体は失敗に終わりましたが、自分の利益しか考えない役人や商人に立ち向かい、庶民のために本気で怒り、行動した大塩平八郎。その姿は、現代においても必要な「真のヒーロー」と言えるかもしれません。
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Q&A:よくある質問
Q. 大塩平八郎は何をしていた人ですか?
A. 元々は大阪東町奉行所の与力(役人)で、引退後は陽明学を教える学者として活動していました。
Q. 大塩平八郎の乱は成功したのですか?
A. いいえ、残念ながら事前に計画が漏れてしまい、わずか1日で幕府軍によって鎮圧されてしまいました。
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