なぜ家康は、歴史ある小田原や鎌倉ではなく、当時は田舎だった「江戸」を拠点に選んだのでしょうか?そこには、歴史の重みよりも「未来の伸びしろ」を見据えた戦略がありました。
この記事の目次
小田原と鎌倉が選ばれなかった致命的な欠点
家康が拠点を決める際、候補として挙がったであろう場所には、北条氏の本拠地だった「小田原」や、源頼朝が幕府を開いた武家の聖地「鎌倉」がありました。しかし、小田原は山に囲まれていて土地が狭く、守るには最適でも大規模な都市開発をするには不向きでした。また、鎌倉も地形が盆地で土地が狭く、家臣や大名の屋敷を建てる十分な空き地がありませんでした。さらに湿気がひどく、夏は蒸し蒸し、冬はジメジメして政務を行うには環境が悪すぎたのです。
- 小田原:山に囲まれていて狭く、大規模な開発ができませんでした。
- 鎌倉:土地が狭く、大名屋敷などを建てるスペースが足りませんでした。
- 鎌倉の環境:湿気がひどく、快適に政務を行える場所ではありませんでした。
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江戸が選ばれた理由は「未来の伸びしろ」
その点、江戸は関東平野のど真ん中にあり、開発し放題の広大な土地がありました。港も川もあって物流の便が良く、経済発展にはうってつけです。さらに、周囲は湿地帯や川で囲まれているため、敵から攻められにくく守りやすいという利点もありました。家康は、過去のブランド(歴史の重み)よりも、これからの都市としての発展性(未来の伸びしろ)を選んだのです。
- 広大な関東平野に位置し、開発の余地が無限にありました。
- 水運(港や川)が発達しており、流通の拠点として最適でした。
- 湿地や川が天然の要害となり、防御面でも優れていました。
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【まとめ】江戸を選んだのは「戦略的」な判断
一見すると田舎でダサい選択に見えたかもしれない「江戸」への入府。しかしそれは、都市としての発展性と防御力を兼ね備えた、非常に戦略的で賢い決断だったのです。その後の江戸の繁栄を見れば、家康の先見の明は明らかですね。
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Q&A:よくある質問
Q. なぜ鎌倉を拠点にしなかったのですか?
A. 土地が狭くて大名の屋敷を建てるスペースが足りなかったことや、湿気がひどく住環境としても厳しかったためです。
Q. 江戸を選んだ一番のメリットは何ですか?
A. 関東平野の広大な土地があり、大規模な開発が可能だったことです。また、水運が利用でき物流に便利だった点も大きな理由です。
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