西洋の騎士が剣と盾を持つのに対し、日本の侍は盾を持ちません。その理由は、日本刀の特性や戦い方の変化、そして鎧の進化にありました。
この記事の目次
理由1:日本刀の重さと「切る」ための進化
侍が盾を捨てた第一の理由は、日本刀の性能にあります。西洋の剣は「突く」ことに特化し、迅速な攻撃のために軽量化されました。対して日本刀は「切る」ことに特化しています。折れないように刃を厚くした結果、片手では扱えないほどの重さになり、両手で持つ必要が生じたため、盾を持つ手が塞がってしまったのです。
- 西洋の剣は「突き刺す」ことに特化して軽く作られています。
- 日本の刀は「切る」ことに特化し、刃を厚くしたため重くなりました。
- その結果、両手で扱う必要があり、盾を持つことができなくなりました。
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理由2:騎射戦と鎧(よろい)による「完全防御」
第二の理由は戦い方の歴史です。平安から鎌倉時代の侍は騎馬兵であり、主武器は弓でした。弓を扱うには両手が必要なため、盾は邪魔になり消滅していきました。第三の理由は鎧の進化です。日本の鎧兜(よろいかぶと)は、大袖(おおそで)や錣(しころ)、吹き返しといったパーツで全身を隙間なく守る「完全防御」の構造をしていました。盾がなくとも、鎧自体が強力な防御力を備えていたのです。
- かつての侍は騎馬での弓攻撃が主体だったため、両手を使う必要がありました。
- 日本の鎧は、肩、首、頭部、足など全身を守るパーツが充実していました。
- 盾は前面しか守れませんが、日本の鎧は全身を防御できる構造に進化しました。
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【まとめ】西洋人を震え上がらせた「捨て身のバーサーカー」
侍はこれら3つの理由から盾を捨て、攻撃力に全振りするスタイルを確立しました。しかし、剣と盾の攻防に慣れた西洋人にとって、防御を捨てて両手で刀を振り回す侍の姿は、まるで捨て身の「バーサーカー(狂戦士)」のように映り、恐怖に震え上がったといいます。
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Q&A:よくある質問
Q. なぜ日本刀は片手で持てないほど重いのですか?
A. 「切る」ことに特化し、強靭さを求めて刃を厚く作ったためです。これにより重量が増し、両手で扱うことが基本となりました。
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Q. 盾を持たない侍は、どうやって身を守っていたのですか?
A. 「完全防御」とも言える進化した鎧(よろい)で身を守っていました。大袖、喉輪、草摺(くさずり)など、全身の急所を守るパーツが発達していたため、盾を持つ必要がありませんでした。
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