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小田氏治は何故、謎の人望や人気があるのか?魅力解説!

30/12/2022


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

武田二十四将(馬場信春)をメイン

 

戦国時代、数々の戦国武将たちがいました。城と領民を背負って戦う武将であったり、主君にどこまでも尽くした武将であったり、その生き様、魅力は様々です。

 

小田氏治 戦国時代から安土桃山時代にかけての常陸の武将・戦国大名

 

そんな星の数ほどいる戦国武将たちの中で、本日紹介したいのは謎の人望、そして謎の人気を持つ戦国武将、小田氏治について。謎の人望、謎のカリスマ、謎の人気を持つかの人の魅力を、今回は語ってみようと思います!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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常陸の国、名門の家系だった小田氏治だが……?

 

小田氏治は常陸の国の戦国武将です。常陸の国は、現代でいうと茨城県ですね。そんな小田氏治の祖父は堀越公方・足利政知、父親は小田家の中興の祖とも言われる小田政治。その息子として生まれたのが小田氏治という人物なのですが、父親である小田政治が参戦した戦が小田家の命運の分かれ目でした。

 

battle-Soldier(合戦に参戦する兵士)

 

1545年に起こった河越城の戦い、そしてその翌年の河越夜戦にて反北条連合に参加して戦った小田政治でしたが、この戦いで連合軍は敗北。更に北条、佐竹の拡大を許してしまうのです。

 

 

傾いてしまった小田家を継ぐ、若君の名こそが!

 

拡大していく北条家と佐竹家。対して敗戦が響き、傾いてしまった小田家。間の悪いことに、1548年、小田政治が亡くなります。そしてこの家運傾きつつある小田家を継いだのが、当時14歳であった若君。この方こそが、小田氏治その人なのです!

 

時は戦国、世は乱世。

 

上杉謙信

 

「相模の獅子」北条氏康。

「越後の軍神」上杉謙信。

「鬼義重」佐竹義重。

 

一騎当千の猛者たち相手に一歩も譲らぬ小田家当主が、小田氏治。その活躍を見ていこうではありませんか!

 

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初陣は敗戦に終わるがなんとその後は……!

逃亡する兵士 日本史ver

 

まずは1555年、上杉家と一緒に結城氏と戦うも、敗北します(一回目)。とはいえ初陣で命を落とす者だっている世の中、命あっての物種でしょう!

 

そして1556年、北条と結城が小田領に攻め寄せます。この際に小田氏治、海老島城に救援として向かうも途中で敗北(二回目)、海老島城は落城。もっと言うと居城であった小田城を落とされますが、氏治は何とか逃げ延びます。しかし小田所領が占領されて行く中で勇猛果敢にも氏治は出陣し、小田城を奪還!

 

翌年に下妻城を攻めるのですが、ここで佐竹の援軍が入ったことで多賀谷に敗北(三回目)。何とは言いませんが既にスリーカウントです。

 

 

小田氏治、結城&佐竹&上杉との連戦を乗り越える!

 

再びやってきた佐竹、そして多賀谷連合軍に氏治は敗北し、小田城は落城。翌年に名誉家臣、菅谷政貞が小田城を奪還するも、勢いに任せて攻め込んだ結城氏に防戦されて撤退した挙句に北條城を奪われ、佐竹&多賀谷連合軍に海老島城が再び落城。

 

上杉謙信

 

ここで打倒北条に呼ばれてやってきたのが上杉謙信です。

 

しかしまだまだ落とされることはない小田原城、その裏で海老島城を奪還する氏治。更になんと密かに上杉から離反して北条氏康と手を組んだりしてしまう氏治。その裏には何とか宿敵、佐竹義昭を倒そうという深謀遠慮の策があったのです……!

 

こうして佐竹と小田の関係はどんどん悪化、更には上杉から離反していることが報告されてしまい、ついに上杉謙信がやってきて1564年、海老島城は落城。氏治自身も上杉、佐竹ら連合軍と戦って敗北(再び)するも、菅谷政頼らが討ち死にするも氏治は小田城を捨てて逃げ延び、小田城を取り戻して、再び佐竹氏により落城させられることとなるのでした……今回何度落城って言ったかな……?

 

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佐竹義昭の死、再び小田氏治のターンがくる!?

 

1565年、佐竹義昭、死す。

 

跡を継いだのはその息子、佐竹義重16歳でした。これは大チャンスとばかりに小田城を奪回した氏治は更に……と行動しようとするも、ここに出てきたのが上杉謙信。やっぱり越後の龍は無理だったよ……と、落城経験を積んでいることに定評のある小田城から落ち延びた氏治、最早落城と落ち延びのプロとなった武将です。

 

その後、1568年に「小田城の城壁を修繕しない」という条件で、やっと上杉謙信に降伏をすることができたのでした。つまりこれだけ敗北と落城を繰り返してまだ本人は生きているのです……もう才能ですよこれは。ある意味ずっと小田氏治のターン!みたいなものではないでしょうか。

 

 

小田氏治の大活躍……と、秀吉の襲来クエスト

 

さてここからも小田氏治と佐竹との熱い戦いが繰り広げられます。

 

両社の戦いはデッドヒートし、氏治が騙されて多くの兵を打ち取られ小田城が落城して逃走したり、佐竹を打ち破っていく結城軍に奇襲をかけて勝利したり、大晦日に宴会を開いていたら奇襲を受けて落城したり、やっぱり落城したり敗北したり落城したりを繰り返していた小田氏治でしたが、遂に彼がやって来ます。

 

秀吉による小田原城攻略です。

 

小田氏治はこれに参加しなかったため、領土を没収。娘が結城秀康の側室になっていたので命こそ奪われませんでしたが、大名家としての小田家はここで終わりを迎えます。その後、1602年に69歳で小田氏治は亡くなります。

 

はじめての戦国時代

 

 

小田氏治の死因は病死

天寿を全うして亡くなった小田氏治

 

小田氏治の死因は討死にでも戦死でも自害でもなく、病死でした。ある意味見事に畳の上で死ねた小田氏治。ここまでどうして彼が生き延びられたかと言うと、驚異的な武力でも、奇想天外な策謀でもなく、最早「謎」としか言えない、人望のおかげなのです。

 

 

ここまで生き続けられた、謎の人望の秘密とは……?

 

この小田氏治という武将、不思議なほどに再び立ち上がってくる武将です。そして戦国時代に置いて、再び立ち上がってくる武将と言うのはそうはいません。大きな敗北から立ち上がってくる武将はいても、落城して尚立ち上がってくる武将というのはいないのです。

 

ではなぜそれができたかと言うと「家臣、及び領民に」深く慕われていた、という小田氏治ならではの「強み」があるのですね。じゃあその強み「小田氏治はどうしてそんなにも謎の人望があるのか」……というと。

 

なんと!分かっていないのであります!!

 

一応、血筋的には良いとはいえ、本人のやらかしも結構大き目、しかしなおそれでも周囲が彼を見捨てない、だからこその「謎の人望」なのであります。もしかしたら現代の私たちからはもう理解することのできない、直接対面した彼らだけが分かる「謎の人望」を持っていたのではないか……そんな謎の人望と共に、謎のカリスマ、そして謎の魅力を持つ小田氏治。

 

どうぞよろしくお願いします。(締め)

 

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戦国ひよこライター センのひとりごと

日本史ライター セン

 

小田氏治、もしくは彼のファンは彼のことを出家名からとって「天庵様」と呼び親しんでいるコアな武将。戦国最弱とは言われるものの、決して弱いだけの人物ではありません。実際に本当に弱いだけならば、天寿など全うできなかったでしょうから。

 

しかしどんな人望かというと良く分からない、本当に謎の人望を持ってして何度も立ち上がるその姿は、正に再生を繰り返す「不死鳥の如く」。そんな知れば知るほど不思議な魅力のある武将、小田氏治、どうぞよろしくお願いします。ぼちゃーん。

 

 

参考:小田氏十五代―豪族四百年の興亡

 

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自己紹介:日本史はあちらこちら、面白そう!と思った所を色々と見ていくのが大好き。どこも面白くて目移りしてしまいますが、特に戦国時代が大好物。様々な勉強ポイント……よりも、ちょっとクスっとしてしまうような小話を交えつつ、皆さんと沼にハマっていきたいと思います、どぼーん。 好きな歴史人物:織田信長 斎藤道三

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