NHK大河ドラマ「光る君へ」に大勢登場する平安貴族。そんな貴族たちは大勢で集まって地方からの報告書に目を通したり、農民からの訴えに耳を傾けたりしているのですが、彼等にとって一番重要な仕事は、じつは年中行事だったりしました。それは、どうしてなのでしょうか?
貴族の大事な仕事は年中行事
平安貴族にとって最も大事な仕事は年中行事でした。年中行事は代表的なものだけでも、年間で百近くに上り、最も忙しい一月には二十を数えました。それら年中行事の中には、月見や灌仏会、衣替えや端午節会のように形を変えながら現在まで伝わっているものもあります。
和やかどころかピリピリした年中行事
しかし、現在の和やかで楽しい年中行事と違い、平安時代の年中行事は神に捧げる厳粛なものでした。当時は年中行事を例年通りにおこなう事が天変地異を防いで安全に暮らせる方法だと考えられていたので、参加者には細かい作法が決まっていて、その通りに動く必要がありました。もし、やり方を間違えると厳しく叱られ無能の烙印を押されて出世に響きます。また、年中行事の中には除目と言って春と秋におこなわれる大人事異動も含まれていました。平安時代の年中行事は貴族の運命を決める重要なイベントだったのです。
責任者である上卿
貴族の仕事では行事や政務によっては、その日の参加者の中で最も地位が高い人物が上卿を務めるケースもありました。今風に言えばプロジェクトリーダーです。上卿になれるのは、出席者で一番上の身分で最高ポストは左大臣、左大臣が欠席なら右大臣、右大臣もいなければ、内大臣、内大臣も欠けている場合は大納言が担当し、大納言以下が上卿になる事は基本なかったようです。ただし、摂政や関白は天皇の補佐なので身分が高くても上卿から除外されました。
人気が無い上卿の辛さ
さて、この上卿はプロジェクトの責任者であると同時に、自分が他の貴族たちにどう見られているかが如実に分かる立場でした。つまり上卿になった貴族が無能だったり、勢力が落ち目の時には、多くの上級貴族がプロジェクトを欠席して集まらない事が多かったのです。例えば、藤原道長の父である藤原兼家の兄の子である藤原顕光は、よく年中行事で失敗して無能呼ばわりされる人であり、顕光が担当した行事や会議では欠席者が相次ぎました。そうでなくても顕光は兼家の子である道長と対立する立場だったので、うっかり顕光の担当する会議に出席して道長に睨まれたくないと考えた公卿が多かったのでしょう。こうして欠席者が多いと行事が延期されたり、中止になる事も多くありました。
頼りにされた藤原実資
平安貴族の一番の仕事が年中行事なので、必然的に昔からの朝廷のしきたりを知っている人は重宝され重んじられました。ドラマではロバート秋山竜次さんが演じている藤原実資がそうで、古今の行事に通じた有職故実の人として周囲に頼りにされていたそうです。
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