満州事変の首謀者として知られる石原莞爾。彼が「日本陸軍最高の天才」と呼ばれる所以は、東京裁判での堂々たる態度だけでなく、膠着した満州問題を一気に解決しようとした大胆な構想と行動力にありました。
この記事の目次
満州事変の背景にあった「排日運動」と「板挟み」
当時、日本は日露戦争で得た権益を元に南満州鉄道を敷設し、多くの日本人が満州に居住していました。しかし、日本の投資で発展する満州を奪おうと、中華民国総統の蒋介石と満州軍閥の張学良が手を組み、激しい排日運動を展開しました。暴徒に日本人の商店を襲わせたり、日本人に不利な法律を作って二重に関税を取るなど、様々な圧力を加えてきたのです。
- 蒋介石と張学良が組み、満州で激しい排日運動を行いました。
- 日本人の商店が襲われたり、不当な関税をかけられたりと圧力を受けました。
- 日本政府が抗議しても両者は責任をなすりつけ合い、国際連盟に訴えても解決しませんでした。
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たった半年で満州を制圧した「天才的構想」
世界最終戦争 新書版 「最終戦争論」及び「戦争史大観」 / 石原莞爾
外交交渉では解決できない状況の中、関東軍参謀だった石原莞爾は独自の解決策を描きます。それは「歴史的に満州人の土地である満州を中国から切り離して独立させ、その国防を関東軍が担う」というものでした。彼は上司の板垣征四郎を説得し、さらに板垣が司令官の本庄繁を動かしました。こうして関東軍の独断で柳条湖事件を引き起こし、わずか半年足らずで日本の4倍もの面積を持つ満州を制圧してしまったのです。
- 石原は、満州を中国から切り離して独立させるという構想を立案しました。
- 上司を説得し、関東軍の独断で軍事行動(柳条湖事件)を開始しました。
- その結果、短期間で広大な満州全土を制圧することに成功しました。
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【まとめ】行き詰まった状況を打破した独断専行
石原莞爾の行動は独断専行ではありましたが、外交で行き詰まっていた満州問題を、軍事力と緻密な構想によって強引に解決へと導きました。その圧倒的な構想力と実行力こそが、彼が「天才」と称される所以なのかもしれません。
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Q&A:よくある質問
Q. 石原莞爾は東京裁判でどのような態度を取りましたか?
A. 参考人として出廷し、堂々と連合国側の戦争犯罪を追及する毅然とした態度を見せました。
Q. なぜ石原莞爾は満州事変を起こしたのですか?
A. 激化する排日運動に対し、日本政府の外交交渉が機能しない中、満州を中国から独立させて日本の権益と居留民を守るため、実力行使に出ました。
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