GHQとは連合国軍最高司令官総司令部の事で、General Headquartersの頭文字を取って呼ばれます。日本が受諾した有条件降伏であるポツダム宣言を執行するための連合国機関ですが事実上アメリカ合衆国及びイギリス連邦の連合国2国の日本国占領機関で、合衆国政府の意志を日本政府を通じて国民に伝える役割を果たしていました。今回は戦後6年半にわたり日本を支配し、戦後日本を造った巨大組織GHQについて解説します。
GHQの役割
GHQはポツダム宣言に明記された以下の8つの政策を実行しました。
① | 戦争犯罪人の逮捕 | 昭和3年よりの日本の戦争指導者の逮捕・東京裁判の開廷 |
② | 公職追放 | 侵略戦争及び大政翼賛会に参加した人間を公職から追放 |
③ | 言論統制 | 軍国主義の肯定及び連合国を批判する言論を検閲し弾圧 |
④ | 非軍事化 | 日本国内の兵器・武具の破壊・没収。平和憲法の制定 |
⑤ | 民主化 | 婦人参政権、労働組合法、教育改革、財閥解体、治安維持法廃止
内務省の廃止、国家警察と自治体警察への分離 |
⑥ | 農地改革 | 大地主から小作人に強制的に土地を分け与え自作農を増やす |
⑦ | 教育改革 | 六三三制移行、男女共学、国史、修身、地理の停止、漢字の廃止等 |
⑧ | 医療改革 | 医薬分業制度の導入 |
これらの政策の中にはローマ字を導入して漢字を廃止するなど日本人の激しい抵抗を受けて中止したものや、冷戦構造の確立により180度方針転換された非軍事化や公職追放などの措置もありますが、概ね強権的に実行され、よくも悪くも戦後日本を決定づける事になります。
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GHQの組織
GHQは連合国軍43万人を統括する巨大組織で、連合国最高司令官(太平洋陸軍司令官兼務)を頂点に参謀長を置き、その下に参謀部と幕僚部を置いていました。
①連合国最高司令官
②参謀長
③参謀部 | 参謀第1部(G1 人事担当)
参謀第2部(G2 情報担当) ―民間検閲支隊(CCD) 参謀第3部(G3 作戦担当) 参謀第4部(G4 後方担当) |
④幕僚部
特別参謀部 専門部
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法務局(LS)
公衆衛生福祉局 (PHW) 民間諜報局 (CIS) 天然資源局(NRS:農地改革など) 経済科学局(ESS:財閥解体など) 民間情報教育局(CIE:教育改革など) 統計資料局 (SRS) 民間通信局 (CCS) |
この中で特にGHQで影響力を持ったのは、アメリカ国防省の影響下にある参謀第2部(G2)と、国務省の影響下にありルーズベルト政権時代の社会主義者が多く存在する民政局(GS)でした。
占領の初期は、日本の非武装化と民主化を強力に推し進める国務省支配下のGSの勢力が強かったのですが、1949年に中華人民共和国が成立しドイツを東西に分割するベルリンの壁が建設され冷戦構造が決定的になると、日本を共産勢力の防波堤とし軍備の拡大と右派勢力の温存を図る国防省の影響下にあるG2が勢力を増します。
このG2の支持を取り付けたのが吉田茂であり、GSが押した社会党芦田政権が昭和電工の疑獄事件で倒れた後、長期政権を築く事になりました。このようにGHQは日本の政権運営にも影響を残す事になったのです。
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GHQの所在地
GHQは当初、横浜税関に置かれましたが、後に皇居と東京駅に挟まれた丸の内地区一帯のオフィスビルの多くが駐留する連合国軍に接収されこの中で総司令部本部は第一生命館に置かれました。
第一生命館は当時最新鋭のビルディングであり接収は免れない事を承知していて、敢えて積極的に総司令部として提供したようです。その理由は司令部として使われるなら丁寧に使われ将来の接収解除後は問題なく使用できるであろうと考えたためで、その目論見は当たり、現在でも第一生命館はDNタワー21として外観保存の上で改築され残っています。
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GHQの解体
GHQは昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効とともに活動を休止し解体されます。
しかし、それは連合軍が完全に日本から撤退するという意味ではなく、日本政府はアメリカやイギリスなどと2国間協定を結び日米安全保障条約に調印してアメリカ軍やイギリス軍の継続した国内駐留と治外法権などの特権を与える事になりました。
GHQは形を変えて、現在でも日本の政治経済に大きな影響を与えていると言えるでしょう。
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日本文化への影響
GHQには日本文化をよく知らない人間も多く混じっていたので、日本の伝統文化も全て野蛮な軍国主義と決めつけて廃止する動きが多くありました。例えば非軍事化の一環として国内の武道を統轄していた政府の外郭団体大日本武徳会を解散し関係者1300人あまりを公職追放。
さらに全国に日本刀の提出を命じる刀狩りがおこなわれ膨大な刀剣類が没収され廃棄されました。
GHQの非軍事化はエスカレート、映画界ではチャンバラ映画が軍国主義的であると禁止され、嵐勘寿郎や片岡千恵蔵など日本を代表する時代劇俳優が仕事を失います。チャンバラ映画で経営が成り立っていた映画産業は苦境に陥り、片岡千恵蔵を主演に多羅尾伴内シリーズのような探偵モノを撮影、禁じられたチャンバラの代わりに銃撃戦で代用するなどなんとか厳しい状況を乗り切りました。
そもそも、刀を振り回すのは野蛮で拳銃を撃ち合うのは野蛮ではないなどGHQの言い分には正当性も客観性もなく、これらの政策を推進した民政局(GS)は日本国民に恨まれます。それはGSが支持する社会党政権への不人気にも繋がり、保守の吉田茂政権が長期化する原因にもなりました。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は日本を6年半支配したGHQについて解説しました。
GHQが戦後日本に残した影響は計り知れませんが、特に占領中に繰り返された戦前の日本を蔑み貶める政治宣伝、ウォーギルト・インフォメーション・プログラムはその最たる例でしょう。また食文化、メディア、経済で徹底したアメリカナイズが推進された結果、食のアメリカ化や行き過ぎた個人主義の拡大など、日本社会に大きな歪みをもたらした部分もあります。
GHQの占領統治と政策は決して過去の遺物ではなく、現在も日本人の深層心理に根深く影響を残しているのです。
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