【動画解説】豊臣秀吉による幻の城『京都新城』|発掘調査で明らかになった真実とは?

23/12/2025


 

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豊臣秀吉に仕える仙石権兵衛秀久

 

 

長らく伝説上の存在とされてきた、豊臣秀吉の最後の城「京都新城」。近年の発掘調査によって、その実在と壮大な姿が明らかになりつつあります。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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秀吉の夢と共に消えた「幻の城」

hideyosi-toyotomi(宴をする豊臣秀吉)

 

「京都新城」は、豊臣秀吉が戦国時代の終焉を飾る壮大な計画として、現在の京都御苑の地に建設を予定していたお城です。しかし、秀吉の死とともにその夢は途絶え、完成した姿を見ることなく歴史の表舞台から姿を消しました。そのため、長らく実在したかどうかも含めて「伝説の城」とされてきました。

 

  • 京都新城は、現在の京都御苑がある場所に建設される予定でした。
  • 秀吉の最晩年の計画でしたが、彼の死によって短期間で役割を終え、幻の存在となりました。

 

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科学的に証明された実在と権力の証

 

しかし、最近の発掘調査によって、この城の実在が科学的に証明されました。2019年から2020年にかけて行われた調査で、金箔が施された瓦や、自然石を積み上げた「野面積み(のづらづみ)」の石垣が発見されたのです。これらは安土桃山時代特有のものであり、秀吉の絶大な権力と、芸術への深い理解を示す証拠といえます。

 

  • 2019年から2020年の発掘調査で、金箔瓦や石垣が見つかりました。
  • 発見された遺構は、秀吉の時代である安土桃山時代の特徴と一致しています。
  • これらの出土品の一部は、京都市考古資料館などで公開され、当時の壮大さを伝えています。

 

 

はじめての戦国時代

 

 

【まとめ】歴史を塗り替える大発見

 

 

伝説だと思われていた場所から、秀吉の野望の痕跡が発見される。これは歴史ファンにとってたまらないロマンです。京都新城の発見は、秀吉が日本の文化や建築に与えた影響を再評価する上で、非常に貴重な手がかりとなっています。

 

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織田信長スペシャル

 

 

Q&A:よくある質問

画像利用について01 織田信長 はてな

 

 

Q. 京都新城はどこにあったのですか?

日本史01 織田信長のポイント解説

 

A. 現在の京都市にある「京都御苑(京都仙洞御所)」の敷地内にありました。

 

 

Q. 発見された遺構は見ることはできますか?

日本史02 徳川家康のポイント解説

 

A. 動画公開時点の情報では、出土した遺構や資料が京都市考古資料館で特別展示・公開されるなど、一般の人も見学できる機会が設けられています。

 

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