豊臣秀吉が繰り返した徳川家臣引き抜き工作とは?【どうする家康】

28/07/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

非常に極悪な表情をしている豊臣秀吉

 

天下人、豊臣秀吉。最近の研究では実際の秀吉はひとたらしなどではなく、なかなか陰険な性格だったようです。ただし、本心を隠し人心を得る術は心得ていたそうで、自前の家臣団を一から創り上げています。そんな秀吉は在野だけではなく、ライバルだった徳川家康の家臣も頻繁に引き抜こうとし、成功したケースもあるのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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他家から人材を引き抜くのは危険

斎藤利三と密談する明智光秀

 

人材登用は結構な事ですが、他家から人材を引き抜くのは褒められた話ではありません。本能寺の変で有名な明智光秀は、重臣の斎藤利三(さいとうとしみつ)を介し稲葉良通(いなばよしみち)の重臣、那波直治(ななみなおはる)を引き抜きました。これに良通は激怒して訴訟に及び、信長が裁定して光秀に対し那波直治を返還して斎藤利三には切腹を命じますが、光秀はこれを拒否。カッとなった信長は光秀の髷を掴んで放り投げたとされます。これから間もなく光秀は本能寺の変に及んでいるのです。

 

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秀吉の人材引き抜きの真意

ショックを受ける豊臣秀吉

 

重臣ともなれば、その家の秘密をあれこれ知っています。それが他所の家に引き抜かれるのは、引き抜かれる側にとって愉快な話ではありません。その人材が家の中核を担っている場合、引き抜きを境に家中の結束が乱れる可能性もあります。

実は、秀吉の人材引き抜きはそれが狙いでした。秀吉は有力な大名家から、特に実力が高そうな人材を厚遇して引き抜いたり、主家に劣らない待遇を与えるなどして家中に緊張関係が生じるようにしていたのです。島津氏の陪臣(ばいしん)だった伊集院家もそうであり、秀吉の死後に庄内の乱が起きています。

 

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秀吉に引き抜きを受けた徳川の家臣

豊臣秀吉からのオファーを拒否する佐久間盛政)

 

では、秀吉は徳川家の誰と誰に引き抜きをかけたのでしょうか?

調べてみると以下の4人は秀吉の引き抜き工作を受けています。

 

石川数正 小牧長久手の戦い後、徳川を出奔、河内8万石の大名に昇進
井伊直政 徳川家臣ながら豊臣姓を与えられるなど不自然に厚遇された
本多忠勝 伏見城築城祝いで秀吉から黄金百枚を受け黙って懐に仕舞う
榊原康政 伏見城築城祝いで秀吉から黄金百枚を受け、家康に許可を受け貰う

 

豊臣秀吉の家臣に転職した石川数正

 

本多忠勝と榊原康政は名将言行録の話なので、事実ではないかも知れませんが、石川数正は実際に徳川を出奔していますし、井伊直政については、秀吉は非常に目をかけ、豊臣姓を許すなど、他の家臣団から浮くような事をしています。

 

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黙って耐えた徳川家臣団は偉い

討死する本多忠真

 

手を変え品を変え、様々な引き抜き工作を仕掛けてきた秀吉ですが、徳川家臣団は石川数正以外は、秀吉に出奔する事はありませんでした。本多忠勝にしても、小牧長久手の戦い後の和睦で、徳川への恩義と豊臣への恩義、どちらが重い?と意地悪な質問をされて、豊臣の恩義は海よりも深いが、徳川の恩は先祖代々のもので日月の重さには代えがたしとして何とか、話を穏便に済ませています。秀吉に難癖をつけさせずにスカウトを断るために、徳川家臣団はよく頑張ったと言えるでしょう。

 

よくお腹を痛める徳川家康

 

また、家康にしても相手が秀吉では、うちの家臣を引き抜くような真似はやめて下さいと言うわけにもいかず、なかなか大変な思いをしたのかも知れません。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

今回は、豊臣秀吉の重臣引き抜きについて解説しました。秀吉は小牧長久手の戦いにおいて、圧倒的少数ながら豊臣軍を相手に引き分けに持ち込んだ徳川家臣団を高く評価していたようです。また、それが先祖代々が徳川に仕えているという家柄から来るものである事に、一代で成り上がった秀吉は嫉妬もしていたんでしょうね。

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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