NHK大河ドラマ「光る君へ」において、花山天皇が出家したために官職を解かれて無職になってしまった、まひろ(紫式部)の父、藤原為時。ドラマでは、まひろが別の家に女房として働きに出ないといけないほどに困窮している様子が描かれていました。しかし、実際の為時は、そこまで貧しくなかったようです。
散位用のハローワーク式部省
一度、官職を得た人間が職を失い無職になる事を散位と言います。仕事を失えば、収入も途絶えて、生活には困るだろうと思いきや、当時の朝廷は散位の憂き目にあった平安貴族たちに仕事を斡旋する式部省という役所を持っていました。
散位寮を置いて解雇者を登録
平安中期以後、朝廷では官職が世襲化し、高級貴族の場合、子孫が最初から高い叙位を与えられる蔭子という習慣が生まれます。官職は叙位に比例するので、例え有能であったとしても高級貴族の子弟に官職を奪われ失業する可能性がありました。また、平安時代には、役所の統廃合もかなりあり、廃止された役所の人員が散位となるケースもあります。そこで、一度官職にあって解雇された者を保護する為、式部省に散位寮という失業者が詰める役所を置いていたのです。なんだか、現代のハローワークみたいですね。
散位は派遣社員として勤務
散位は、散位寮の名簿に登録され、式部省が任命する形で無官のまま造寺司のような律令の外にある機関の職員として派遣されたり、国衙の目代や在庁官人として従事したり、雑任に補任されたり、要は、めぼしい仕事で欠員がある所に派遣されて仕事し俸給を貰っていました。為時も散位として式部省の名簿に登録されて、あちこちの役所に出向していたと考えられます。もちろん、散位の身なので仕事は端役で俸給も少ないでしょうが、無一文でお金に困ると言う事は無かったでしょう。
常陸国に荘園をもっていた?
また、藤原為時は貧しいどころか常陸国に荘園を保有していた可能性もあります。それというのも、為時の息子の惟通が40代で病死した時、惟通の生母(紫式部の継母)は常陸国に住んでいましたが、為時を頼って京都に来なくても生活が出来たようなのです。これは、為時が常陸に経済基盤、すなわち荘園をもっていた可能性を示唆しています。もちろん為時が荘園をいつ購入したかは不明なので、後年、越後守になってから出来た財産で購入したのかも知れませんが…いずれにしても、史実の為時は生活力がまるでない学者ではなく、散位になっても、そこそこ生活できる力はあったと考えるのが自然かも知れません。
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