NHK大河ドラマ「光る君へ」辛い展開になる事も多い今回の大河の癒しは主人公、まひろの従者、乙丸や道長の従者百舌彦でしょう。主人公たちが偉くなっても、昔と変わらず主人に忠誠を尽くしてくれる2人はドラマのオアシスです。でも、乙丸や百舌彦はどこから、それぞれの主人の下へ通ってきているのでしょうか?
貴族に雇われて生きていた平安京の庶民
平安中期の平安京には増減はありますが、10万から20万の人々が暮らしていました。その中で貴族階級は2000人程度であり、残りは庶民だったようです。では、人口の99%を占める庶民はどうやって生活をしていたのでしょうか?実は驚くべき事に平安京の人口の99%を占める庶民は、すべて貴族に雇われて生きていたようです。
平安京には産業がない
平安京は794年に都に定められ、以後千年以上も日本の首都でしたが、通常の都市と違い、自然に人が集まって大きくなったのではありません。何もない平地にいきなり首都を建設し、そこに数千人の役人や貴族、僧侶を入れたのが最初です。そのため、平安京には産業らしい産業がなく完全な消費都市でした。それが可能だったのは平安時代の日本が中央集権制を敷いていて、国司を通じて全国から富が租税として集まっていたからでした。貴族は、全国から集まった租税から給与をもらい、その給与で生活していましたが、平安京の周辺に住む庶民は貴族に雇われ牛飼いや護衛、細々した雑用仕事をしていたのです。まひろや道長の従者である乙丸や百舌彦も貴族に雇われて生活している労働者だったのでしょう。また、男性だけではなく女性も炊事や洗濯、子守などで貴族に雇われていました。
大貴族の屋敷の周囲に小さな小屋
では、そんな労働者である乙丸や百舌彦はどこに住んでいたのでしょうか?文献によると、当時、平安京の大貴族たちは自分たちに仕えている従者のために、屋敷の周辺に土地を購入し、そこに掘っ建て小屋のような小さな小屋を何百と用意していたようです。小屋の面積は十二畳から六畳、そんな小さな部屋に庶民たちは家族と肩を寄せ合って暮らしていました。大貴族たちは、屋敷の近くに従者を囲い込む事で、いつでも必要な時に従者を呼び出せるように工夫していたのかも知れません。
貴族に優遇され処罰もされた使用人
そんな大貴族に雇われた使用人たちは、時に大貴族の権力に守ってもらえることもあったようです。庶民とはいえ、ウチで働いている人間に無礼を働く事は許さんという事でしょうか?逆に使用人が何らかの罪を犯した場合、治安を担当する検非違使ではなく、その使用人を使っている貴族が捕まえて、検非違使に引き渡す義務がありました。そう考えると、左大臣藤原道長の使用人である百舌彦は、まひろの使用人である乙丸よりも立場が上という事になったかも知れませんね。
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