今回ご紹介するのは清少納言。言わずと知れた平安時代の女性歌人であり、日本最古の随筆である「枕草子」の作者。数々のエピソードを持っている彼女の逸話の中から、とある話をご紹介します。
この逸話、実は彼女の父親である三十六歌仙、清原元輔との血筋を感じることができるものとなっております。そちらのエピソードも合わせて、ご紹介しますね。
この記事の目次
時の中宮、藤原定子に仕えた清少納言
清少納言は三十六歌仙、清原元輔の娘。才気あふれる女性でもあり、また一条天皇の中宮である藤原定子に仕えたことでも有名です。また彼女が手掛けた「枕草子」も知らない人はいないのではないでしょうか。
この枕草子は様々な清少納言と中宮、定子のエピソードも乗せられており、二人の仲の親密さも窺い知れることができるものとなっています。
清少納言のコンプレックス・エピソード「朝はつらい」
さて清少納言と言えば「春はあけぼの」ですが。そんな彼女には現代の女性でも「わかる!」となってしまうようなコンプレックスがありました。それは「くせ毛」です。
髪がくせ毛があって、朝が大変だったとか……筆者も良く頭が鳥の巣の如くとなっているので、このお気持ち、分かります。また髪自体も薄く、そのために鬘を愛用していたとも言われていますね。
平安時代の美人の条件
そんな清少納言が髪の毛がコンプレックスだった理由の一つに、髪の毛というのは非常に重要な要素を持っていたから、という理由もあるでしょう。平安時代の女性の美人のスタンダードに、長く艶やかで真っ黒なロングヘア、というものがあります。そんな中でくせ毛で髪の毛が薄い、というのは他の女性たちの中では恥ずかしい、というのも頷けますね。
清原元輔パパの「おかみ」エピソード
そして清少納言パパこと清原元輔氏、彼にもこんなエピソードがあります。当時の人は冠を被っていました。絵巻物に出てくるので、見たことがあるという人も多いでしょう。この冠、非常に大事でした。当時としては冠を被っていないことは大変恥ずかしいことでしたので、人前で外すなんて以ての外。にも拘らず、ある日、清原元輔は冠を落としてしまったのです。そしてその冠の下は、見事なつるっぱげでした。
パパはプロなので敢えて笑いに昇華
さあ大変、冠を人前で外す、落としただけでも恥ずかしくて生きてはおられん!という時代なのに、更にその下には髪がなかったのです。余りのことに「けがなくて良かったね!」などと声をかける者もおりません。(いません)そんな中で彼は冷静に周囲を諭して回りました。
「良いですか、冠は紐で結んでいる訳ではなく、髪で支えているのです。そして私に髪はない、だから冠が落ちるのも仕方のないことだと言えるでしょう(意訳)」
こんなことを真正面から説明された左右の者、皆吹き出してしまったと言います。恥を恥とせず敢えて周囲を笑かす、これが清少納言パパ!
くせ毛と遺伝とズバリ「禿げ」
ここでちょっと触れたいのが、清少納言パパは髪が薄かったということ。髪質というのは遺伝性もあり、親が薄いと子も薄い、ということがあります。清少納言もまた、髪が薄いことを悩んでいました。
また髪がくせ毛と言いましたが、くせ毛は髪がダメージを受けた状態……つまり、髪が痛みやすい家系であった可能性もあります。元々薄いのか、それとも痛みやすいから薄くなったのか……ともあれ、二人の髪質は親子であった、そういう可能性が高いでしょうね。
中宮・定子様の思いやり、プライスレス
最後に少し、清少納言と中宮・定子様のお話を一つ。前述したように、清少納言は髪に付いて悩んでいました。コンプレックスもあったようです。またくせ毛なもので、朝が大変だったのようなのですが……そんなある朝、他の女房が御簾を開けようとしました。
清少納言が焦った時、定子様が御簾を開けるのをさり気なく止めてくれたと言います。こういうふとした気遣いができる、そんな中宮定子様だからこそ、清少納言は大好きだったのかもしれませんね。
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清少納言、頭の回転が速く、かなり思ったことをぴしゃっという女性、というイメージがあります。そんな女性でも髪についてコンプレックスを抱いていたというのは、何だか可愛らしくも、大変であったのだろうな……とも思います。
ましてや彼女がいるのは宮中、ドロドロした場所のトップクラス。下手をしたら髪の毛一つで引きずりおろされる可能性も……あったかどうかは分からないけれど。
そんな中で自分に気を回してくれる上司がいると言うのは、清少納言にとって何よりの心の支えだったのだろうな、と感じた筆者でした。ちゃぷーん。
参考:枕草子 宇治拾遺物語