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加藤清正の虎退治は本当なの?実際の虎退治は嘘?

08/10/2023


 

 

コメントできるようになりました 織田信長

 

日本史02 加藤清正

 

加藤清正かとう きよまさ、熊本では清正公が「せいしょこ」と呼ばれ、せいしょこさんとも親しまれる人気っぷり。その加藤清正かとう きよまさ本人は武勇に優れ、そして政治に築城にと多彩な才能を発揮した人物です。

 

特に武働きでは賤ヶ岳の七本槍とも謳われ、加藤清正かとう きよまさの虎退治、という勇猛果敢さも知らない人はいないのではないでしょうか。しかしこの加藤清正かとう きよまさの虎退治、真実とは違うとはご存知ですか?

 

今回はこの加藤清正かとう きよまさの虎退治について、お話したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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加藤清正の虎退治

中国大返し ver2(豊臣秀吉)

 

まずは加藤清正かとう きよまさの虎退治について、これは秀吉の朝鮮出兵の時のお話です。というのも元々日本には虎がいなかったので、必然的に外の国でのお話になりますね。朝鮮での日々、清正の部隊の近くにはたくさんの野生の虎がいて、兵士たちが何人も襲われていました。

 

これには清正公も激おこ、虎めを退治してくれようと出陣すると、そこには驚くほど大きい虎が。兵士たちは怯えるも、そこは清正、えいやあと勇猛果敢に虎と格闘、見事槍にて虎退治。これが後世に伝わる加藤清正かとう きよまさの虎退治となります。

 

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加藤清正の虎退治と、加藤清正の片歯の十文字槍の関係

 

この清正の愛用していた槍が十文字三日月槍といい、現在は東京国立博物館所蔵となっております。ご覧になった方は知っていると思いますが、十文字槍は通常は槍の先が十字になっています。

 

しかし清正の十文字槍は、向かって左側の槍穂先が無くなっているのです。これは前述した虎退治で、巨大な虎との戦いの最中、虎が噛み千切ってしまったから、と言われています。それだけ強大な虎だった、ということですね。

 

 

虎退治、実際には槍は使われてはいなかった!?

book-saiyuki(西遊記-書類)

 

と、ここで話の盛り上がりを槍の先の如くへし折るようですが、そもそも虎退治には槍は使っていなかった、とも言われています。まあ通常の人間が虎退治に槍一本で挑むというのはどう見ても匹夫の勇、皆様は色々な意味で真似をしてはならない一件でしょう。

 

japanese-matchlock(火縄銃)

 

 

この際に実は清正公は槍ではなく銃を使っていたとされ、虎を一発で見事仕留めた……それはそれで凄いけれども、話の盛り上がりとしては槍一本の方が良い!ということで虎退治は槍で、という演出になったのでしょうかね。

 

 

虎退治の真相、実は加藤清正の虎退治ではなかった説!?

黒田長政

 

さてさて、もう一つの虎退治のお話。何とそもそも虎退治の話は加藤清正かとう きよまさではなく、黒田長政(くろだ ながまさ
)
の話であったとも言われています。黒田官兵衛の息子、黒田長政もまた朝鮮出兵に出兵していました。もちろん彼もまた虎に悩まされていた訳で。

 

父に負けず勇猛果敢で智将だった黒田長政

 

そこで虎退治に出ると、驚くほど大きな虎が!(ちょっと前に見た演出)家臣たちはこれに驚いて長政に声をかけるも、長政は銃を構えたまま動かない、虎が凄まじい勢いで長政に迫る!そして響いた一発の銃声。見事超絶至近距離で虎を撃ち、黒田長政は虎退治を成し遂げたのでした。

 

 

更にもう一つ、黒田家家臣、林直利の虎退治と「虎衝」

 

そしてもう一つ、黒田家の虎退治のお話を。黒田家の皆々様は我先に手柄を立てんと虎退治をしていく中、家臣の林直利、またの名を林太郎右衛門は虎退治を成し遂げていませんでした。

 

このままでは一生の恥、ならば自ら出向いて虎を退治せん!と一人で虎退治に向かった太郎右衛門、そこで巨大な虎と出会います。えいやあと一気呵成に虎を口から一直線槍で一突きするも、虎はその槍を嚙み砕こうとする!そこでこのままではならぬと判断が早い、太郎右衛門は刀を抜いて虎の首を叩き落とし、見事その虎を勝って戻ったと言われています。林直利(はやし なおとし)の槍は虎衝と呼ばれ、現在では福岡市で個人所蔵されております。

 

 

虎退治、実はしていたのは加藤清正だけではなかった説

 

さて加藤清正かとう きよまさの虎退治、ちょっとすると黒田長政の虎退治と、黒田家家臣である林太郎右衛門の虎退治と、両方に酷似している話となっております。このためそもそも虎退治をしたのは黒田家の話で、元は加藤清正かとう きよまさの話ではなかった、という説もあるのです。

 

しかし、元々朝鮮出兵で虎に悩んでいたのはどの武将も同じで、多くの武将が虎を借っていたそうで。当然ながら加藤清正かとう きよまさも虎退治をやっていたのではないかと思われます。

 

その中で「加藤清正かとう きよまさの虎退治」という話が江戸時代以降、軍記物語や講談で広く周知されるようになり、加藤清正かとう きよまさの幼名である「虎之介」との妙もあり、虎退治と言えば加藤清正かとう きよまさ、となったのではないでしょうか。

 

 

狩り狩りされた虎さんたちの向かった先は

晩年奇行が多い豊臣秀吉

 

最後にちょっとした余談を。狩られた虎たちですが、塩漬けにされて秀吉の元に送られていたそうです。秀吉は当時病床にあり、虎の肉、もしくは虎の脳みそは滋養強壮によいとされていました。しかしまあ大変沢山送ってくるもので秀吉は「もういらない」とお断りされたと言います。

 

虎の肉とは美味しいのでしょうか……?それはちょっと興味ありありの筆者でした。

 

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三国志ライター センのひとりごと

日本史ライター セン

 

因みに広東料理に「龍虎鳳」という滋養強壮に良いとされる料理がありまして、これは名前の通り龍と虎と鳳凰を料理したものだとか。とは言えどれもこれも材料の難易度が高いため、実際には蛇とハクビシン、鳥を料理したものと言います。

 

センさんのとぷんver2

 

 

もしかしたらそういう話が伝わっていって、秀吉に虎肉を送ろうと虎退治がなされたのかもしれません。そうは言ってもやはり虎退治と言えば加藤清正かとう きよまさ、そして槍を一本片手に一騎打ち!真実はどうあれそこに浪漫を覚えますよね。ちゃぷーん。

 

参考:黒田官兵衛と二十四騎

 

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自己紹介:日本史はあちらこちら、面白そう!と思った所を色々と見ていくのが大好き。どこも面白くて目移りしてしまいますが、特に戦国時代が大好物。様々な勉強ポイント……よりも、ちょっとクスっとしてしまうような小話を交えつつ、皆さんと沼にハマっていきたいと思います、どぼーん。 好きな歴史人物:織田信長 斎藤道三

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