武田信玄といえば、武田騎馬軍団です。そもそも海がない山梨の大名である武田信玄なので陸戦部隊が有名なのは当然ですが、実は信玄には武田水軍という海の部隊が存在した事実を御存じでしょうか?
今回のほの日では、知られざる武田水軍について解説します。
甲陽軍鑑に武田海賊衆と記録された武田水軍
武田水軍とは、戦国大名の武田氏に属していた水軍で甲陽軍鑑においては「武田海賊衆」と呼ばれています。
元々は、山国で水軍が無かった甲斐武田氏ですが永禄11年(1568年)武田信玄が駿河に侵攻して今川氏真を駆逐した事で、内陸の武田領は駿河湾にも接する事になりました。これを受けて、信玄は海上貿易と同じく海に面している北条氏に対抗すべく、武田水軍を組織し、駿河湾に面した地域を拠点に活動し、後北条氏と駿河湾で何度も海戦を繰り広げたそうです。
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M&Aで強化された武田水軍
しかし、内陸の生まれで海戦のノウハウがない信玄では、水軍を効率的に運用するのは不可能でした。そこで信玄は、今風に言えばM&Aの発想で今川家の重臣だった岡部貞綱を配下にして、水軍の指揮を任せました。
とはいえ、岡部氏は今川氏の水軍ではなく、平時は海運業や漁業に従事した海の民でした。ここには、武田水軍を非常時には戦争に投入し、平時には交易に従事させるという信玄の深慮遠謀を見る事が出来ます。
ただ、これだけでは後北条氏の水軍と渡り合うのは難しいと考えた信玄は、さらなるM&Aを岡部貞綱に命じます。それが伊勢や北条氏に与している海賊衆を武田水軍に引き込む事でした。
実際に信玄が岡部に伊勢の海賊衆を招へいするように命じた文書が残っていて、岡部は信玄の命令に沿い、伊勢水軍の小浜景隆や旧北条海賊の間宮武兵衛を味方に引き込んでいます。
さらに、元亀2年(1571年)九鬼義隆に北畠氏の伊勢水軍が敗北。武田水軍は敗残した伊勢水軍も吸収します。それにより、巨大な安宅船1艘を旗艦とする52艘の武田水軍が完成しました。
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海の拠点を海賊に与える信玄
しかし、いかに味方に引き入れたとはいえ、相手は陸のルールが通用しない海賊です。そこで信玄は海賊衆を引き込むと、江尻や清水など今川時代から栄えた沿岸部の領地を彼らに与えました。
同時に信玄は陸上にも拠点に居城を築き、特に沼津城は北条氏の伊豆国を攻める拠点として大いに活用されます。この沼津城から武田水軍は伊豆に出撃して、後北条氏の水軍と激戦を繰り広げるのです。
ただ、水軍編制から5年も経過しない元亀4年(1573年)武田信玄は上洛途中に没してしまい、水軍の真価を十分に見る事はありませんでした。
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武田水軍の主な海将
武田水軍の主な海将と船の数は以下の通りです。
1 | 土屋貞綱 | 船12艘 同心50騎 |
2 | 間宮信高 | 船5艘 |
3 | 間宮武兵衛 | 船10艘 |
4 | 小浜景隆 | 安宅船1艘 小舟15艘 |
5 | 向井正重 | 船5艘 |
6 | 伊丹康直 | 船5艘 |
ここに登場する海将の中には武田氏滅亡後に、そのまま徳川家康に仕え、徳川水軍の建設に従事した人もいます。信玄の武田水軍は、武田氏の旧領地を相続した徳川家康にも恩恵を与えたのです。
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その後の武田水軍
天正10年に武田勝頼が織田信忠に滅ぼされると、武田水軍は主を失います。しかし、自前の水軍を欲しがっていた徳川家康の誘いを受け支配下に入りました。
以後は、向井正重の子の向井正綱等が本多重次の指揮下で伊豆国攻めや小牧・長久手の戦いに従軍。北条水軍の梶原景宗や織田水軍の九鬼義隆を破るなど目覚ましい活躍をして徳川水軍の中核になります。
小田原征伐では、相模湾の包囲を担当し、徳川氏が江戸に移封されると相模国・上総国で2千石を得て相模三崎に入りました。
関ケ原の戦いというと陸上のイメージがありますが、実際は海上でも毛利輝元についた村上水軍が伊勢湾沿岸や紀伊沿岸、阿波を攻め、東軍についた加藤嘉明の伊予松前城を攻めたりしているので、水軍の需要はまだあったのですが、徳川水軍は海路が荒れて遅参します。
しかし、悪天候の事なのでどうしようもないと家康に認められたのか、罰を受ける事は無く、そのままの地位を維持し江戸幕府開府後は、江戸湾の警護と発展に尽くしました。
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戦国時代ライターkawausoの一言
武田から徳川への遺産と言えば、武田赤備えを引き継いだ井伊直政が有名ですが、武田水軍も勝頼から徳川家康に引き継がれ、その後の戦いで家康をサポートする事になりました。こうしてみると、戦国大名は別個に戦っているように見えて、その功績は後続の大名に引き継がれて残っていくんだなと改めて思いますね。
参考:戦国武将の土木工事 /単行本 /2020/11/17/豊田 隆雄 (著)