長らく伝説上の存在とされてきた、豊臣秀吉の最後の城「京都新城」。近年の発掘調査によって、その実在と壮大な姿が明らかになりつつあります。
この記事の目次
秀吉の夢と共に消えた「幻の城」
「京都新城」は、豊臣秀吉が戦国時代の終焉を飾る壮大な計画として、現在の京都御苑の地に建設を予定していたお城です。しかし、秀吉の死とともにその夢は途絶え、完成した姿を見ることなく歴史の表舞台から姿を消しました。そのため、長らく実在したかどうかも含めて「伝説の城」とされてきました。
- 京都新城は、現在の京都御苑がある場所に建設される予定でした。
- 秀吉の最晩年の計画でしたが、彼の死によって短期間で役割を終え、幻の存在となりました。
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科学的に証明された実在と権力の証
しかし、最近の発掘調査によって、この城の実在が科学的に証明されました。2019年から2020年にかけて行われた調査で、金箔が施された瓦や、自然石を積み上げた「野面積み(のづらづみ)」の石垣が発見されたのです。これらは安土桃山時代特有のものであり、秀吉の絶大な権力と、芸術への深い理解を示す証拠といえます。
- 2019年から2020年の発掘調査で、金箔瓦や石垣が見つかりました。
- 発見された遺構は、秀吉の時代である安土桃山時代の特徴と一致しています。
- これらの出土品の一部は、京都市考古資料館などで公開され、当時の壮大さを伝えています。
【まとめ】歴史を塗り替える大発見
伝説だと思われていた場所から、秀吉の野望の痕跡が発見される。これは歴史ファンにとってたまらないロマンです。京都新城の発見は、秀吉が日本の文化や建築に与えた影響を再評価する上で、非常に貴重な手がかりとなっています。
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Q&A:よくある質問
Q. 京都新城はどこにあったのですか?
A. 現在の京都市にある「京都御苑(京都仙洞御所)」の敷地内にありました。
Q. 発見された遺構は見ることはできますか?
A. 動画公開時点の情報では、出土した遺構や資料が京都市考古資料館で特別展示・公開されるなど、一般の人も見学できる機会が設けられています。
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