邪馬台国の場所が未だに決まらないのは、唯一の主要な手がかりである『魏志倭人伝』の記述が不正確で、文字通りに解釈すると赤道上に位置してしまうからです。
この記事の目次
唯一の手がかり『魏志倭人伝』の「不正確な」記述
邪馬台国の論争は、なんと江戸時代から続いており、新井白石や本居宣長といった大学者たちも研究していました。しかし、この国に関する主要な情報源は、中国の歴史書『三国志』の一部である『魏志倭人伝』しかありません。当時の日本には文字がなかったため、日本側の詳細な記録が残っていないのです。
- 論争は江戸時代から続いており、新井白石や本居宣長も研究していました。
- 当時の日本には文字がなかったため、中国の『魏志倭人伝』が唯一の主要な手がかりとなっています。
- 最大の問題は、その『魏志倭人伝』の位置情報が不正確で、文字通り読むと邪馬台国が赤道上になってしまうことです。
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有力な「近畿説」と消えない「九州説」
現代では「近畿説」が有力とされており、卑弥呼の墓も箸墓(はしはか)古墳であるという説が浮上しています。しかし、これもまだ確定したわけではありません。確固たる証拠がないため、学者たちの間では「九州説」を支持する研究者も少なからず存在し、未だにこの謎を巡って激しい議論が繰り広げられています。
- 現在、最も有力とされているのは「近畿説」です。
- 卑弥呼の墓は、近畿説の根拠の一つである箸墓古墳ではないかと言われています。
- しかし、確固たる証拠がないため、「九州説」を支持する研究者も多く、議論が続いています。
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【まとめ】古代の測量技術と終わらない論争
このような測量技術の問題は、実は世界中で見られるものです。古代エジプトやメソポタミアでも同様の誤差が見られ、歴史上の地理的位置を特定する難しさを示しています。邪馬台国論争も、今後新たな証拠が発見されない限り、決着がつかない永遠の謎なのかもしれませんね。
Q&A:よくある質問
Q. なぜ邪馬台国の場所は、近畿説や九州説など決着がついていないのですか?
A. 唯一の主要な資料である中国の『魏志倭人伝』に書かれた位置情報が不正確で、邪馬台国の場所を特定できる確固たる証拠がまだ見つかっていないためです。
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Q. 『魏志倭人伝』の記述は、どれくらい不正確なのですか?
A. もし文字通りに解釈して方角や距離を当てはめると、邪馬台国がはるか南の赤道上にあることになってしまうほど、不正確な点があるとされています。
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魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国/中央公論新社/渡邉義浩
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