邪馬台国の女王・卑弥呼と天皇家の関係とは?日本史の謎に迫る

30/04/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

卑弥呼

 

卑弥呼ひみこ」と言えば弥生時代やよいじだいの「邪馬台国やまたいこく」の女王としてあまりにも有名です。中国ちゅうごくの歴史書「三国志さんごくし」に登場し、当時の日本にほんで大きな力を持っていたような記述をされる卑弥呼ですが、日本側には記録がありません。

 

Emperor(天皇のシルエット)

 

気になるのは女王卑弥呼と「天皇家てんのうけ」との関係なのではないでしょうか。今回の記事では卑弥呼と天皇家との関係について考えてみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「三国志」に登場する「卑弥呼」

魏みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

卑弥呼ひみこ」(ひみこ)は三国志さんごくしの「魏志倭人伝ぎしわじんでん」に登場する「倭国わこく」(現在の日本にほん)の「邪馬台国やまたいこく」(やまたいこく、やまとこく等)の女王です。

 

book-Suikoden(水滸伝-書類)

 

魏志倭人伝ぎしわじんでん」とは「三国志さんごくし」で中国ちゅうごく以外の異民族について紹介した「東夷伝とういでん」の「倭人条じんじょう」の事を指します。「魏志倭人伝ぎしわじんでん」は当時の日本にほんの様子をする唯一の資料となっています。

 

 

卑弥呼はどんな人物だったのか?

反乱 モブ 戦争

 

魏志倭人伝ぎしわじんでん」によると、倭国わこくは国同士で長い戦乱の時代が続いていました。しかし、女王の「卑弥呼ひみこ」が擁立されると国同士の争いは収まり、それらの国は「邪馬台国やまたいこく」として連合国家となりました。

 

鬼道を使う卑弥呼

卑弥呼ひみこは「鬼道きどう」(呪術?占い?)によって国を治め、実際に会うことができたのは弟のみでした。卑弥呼ひみこは度々「」に使者を送り、「親魏倭王しんぎわおう」の金印や銅鏡100枚をから与えられています。

 

邪馬台国VS狗奴国

後に「狗奴国こうどこく」との争いが激しくなり、それを聞いたは「張政ちょうせい」という役人を邪馬台国やまたいこくに派遣しますが、争いの中で卑弥呼ひみこは死去。

 

亡くなる卑弥呼

 

国は大いに乱れますが、卑弥呼ひみこの親戚「台与たいよとよとよいよいよ)」が女王に擁立され、国は静まったと言います。邪馬台国やまたいこくの場所は諸説あり、「近畿説きんきせつ」と「北九州説きたきゅうしゅうせつ」が有力です。

 

 

大和朝廷

 

日本側の資料に卑弥呼は出てくるのか?「神功皇后」との関係は?

卑弥呼 HMK48

 

日本にほん最初の現存する正式な歴史書は「日本書紀にほんしょき」ですが、そこには「卑弥呼ひみこ」の名前は出てきません。しかし、日本書紀にほんしょきの「神功皇后じんぐうこうごう」の項に「この年魏志ぎしによると、の女王がに使者を派遣した」という記述があり、はっきりとは書かれていませんが、日本書紀にほんしょきの編纂者は「卑弥呼ひみこ神功皇后じんぐうこうごう」ではないか?

 

邪馬台国と卑弥呼軍

 

と、考えていたことがうかがえ、本当であれば卑弥呼ひみこ天皇家てんのうけにつながる人物です。神功皇后じんぐうこうごうは実際に弟がいて、他国との戦いにも関わっていて、卑弥呼ひみこの業績と重なるところもあります。しかし、卑弥呼ひみこの生きた時代と神功皇后じんぐうこうごうの生きた時代とはブレがあり、日本書紀にほんしょきの記述もあいまいであることから、これを否定する説もあります。

 

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 

 

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が卑弥呼?

斉明天皇

 

 

倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみことは「孝霊天皇こうれいてんのう」皇女で、巫女的な役割を多く果たしてきた人物でした。倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみことの墓と言われている「箸墓古墳はしはかこふん」は邪馬台国やまたいこくの場所だと言われる「纏向遺跡もつれむきいせき」の中にあり、魏志ぎしの「卑弥呼ひみこの墓」の記述と似ていることから、彼女が卑弥呼ひみこだと言われることがあります。ただ、墓の記述だけで判断するのは難しいのに加え、当時の皇女が卑弥呼ひみこほどの権力を持っていたかの疑問もあり、決定打に欠けるところです。

 

 

そもそも天皇家に滅ぼされた?

book-saiyuki(西遊記-書類)

 

卑弥呼ひみこ天皇家てんのうけと関係が無い、という説もあります。「日本書紀にほんしょき」によると、「山門やまと」を本拠地とする土蜘蛛つちぐも(敵対する勢力)の女王「田油津媛たぶらつひめ」を滅ぼした、という記述があります。この「田油津媛たぶらつひめ」が卑弥呼ひみこではないか、という説です。これが事実ならば「邪馬台国やまたいこく」を天皇家てんのうけが滅ぼしたことになります。ただ、「山門国やまとのくに」の規模は小さく、他にも有力な証拠は見つからないのがこの説の弱いところです。

 

 

国学者・本居宣長氏の説

丸木舟(弥生時代)

国学者こくがくしゃで有名な本居宣長もとおりのぶなが邪馬台国やまたいこく天皇家てんのうけ)は近畿きんきだという説を支持し、卑弥呼ひみこは「勝手に倭国わこく女王を名乗りに使者を送った部族の女酋長」だという説を唱えました。この説によると卑弥呼ひみこ邪馬台国やまたいこくと対立する勢力で、邪馬台国やまたいこくと戦うためにの後ろ盾を得ようとしたと考えられ、卑弥呼ひみこ天皇家てんのうけと対立する勢力の長という事になります。

 

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天照大御神だった?

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天照大御神あまてらすおおみかみ」は天皇家てんのうけの祖先あたる「女神」で、数々の祭祀を行い、巫女として役割をし、国の争いもあったことから、「卑弥呼ひみこ」ではないかという説があります。これが事実であれば、卑弥呼ひみこ天皇家てんのうけの祖先という事になるのですが、決定的証拠はなく、難しいところです。

 

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日本史ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

卑弥呼ひみこ」と「天皇家てんのうけ」の関係については全く証拠がなく、証明するのはとても困難です。「卑弥呼ひみこの墓ではないか」と呼ばれる古墳はいくつかあるのですが、「天皇陵てんのうりょう」に指定されている場所もあり、発掘調査もできないようです。そこが発掘されれば、何かがわかるかもしれませんね。

 

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みうらひろし

日本史で好きなところは一つの「決断」が大きく世の中を変えてしまうことでしょうか。そんな中でも「決断」にミスをしても、その後復活したりする人物には尊敬をかんじますね。自分もミスしてもあきらめずに過ごしたいものです。
好きな歴史人物:長宗我部盛親、立花宗茂

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