日露戦争での日本の勝利は、植民地支配に苦しむアジアやアフリカの人々に大きな希望を与えた一方で、西洋列強には新たな「脅威」として映りました。
この記事の目次
小国・日本がロシア帝国に勝利した衝撃
日露戦争は、不凍港を求めて南下するロシアと、それを阻止したい日本の間で1904年に勃発しました。当初は圧倒的にロシア有利と思われていましたが、日本は予想外の善戦を見せます。旅順港の攻撃でロシア艦隊を壊滅させ、奉天会戦でロシア軍を退却に追い込み、最後は日本海海戦でバルチック艦隊を撃破。ついにロシアは講和に応じ、ポーツマス条約が結ばれました。
- 日露戦争は、満州や朝鮮半島への進出を狙うロシアと、それを止めたい日本の戦いでした。
- 旅順港への攻撃や奉天会戦、日本海海戦での勝利により、日本が勝利を収めました。
- この勝利により、アジアの小国が白人の大国に勝利するという歴史的な出来事となりました。
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世界に広がった「希望」と「脅威」
この日本の勝利は、植民地支配に苦しむアジア、アフリカ、フィリピン、インド、オスマン帝国、東ヨーロッパの人々に大きな希望を与えました。当時トルコでは、子供に「東郷」や「乃木」といった日本の将軍の名前をつけることが流行したほどです。一方で、この日本の強さは西洋列強にとって「脅威」とも映りました。
- 虐げられていた有色人種の人々に、「白人国家にも勝てる」という勇気を与えました。
- しかし、同盟国であったイギリスでさえ、日本の勝利を複雑な思いで見ていました。
- 革命家・孫文は、日本の勝利を知ったロンドンの街が静まり返り、恐怖と嫌悪の入り混じった視線を向けていたことを日記に記しています。
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【まとめ】西洋対東洋の戦いへの布石
日露戦争での勝利は、世界中の被支配民族を勇気づける快挙でしたが、同時に西洋諸国に「黄色人種の脅威(黄禍論)」を抱かせるきっかけにもなりました。日本の台頭は、やがて訪れる「西洋対東洋」という大東亜戦争への布石にもなっていったのです。
Q&A:よくある質問
Q. 日露戦争の勝利は、海外でどのような反応がありましたか?
A. アジアやトルコなど植民地支配や圧力に苦しむ国々では熱狂的に歓迎され、希望の光となりました。トルコでは子供に日本の将軍の名前をつけるのが流行したそうです。
Q. 西洋諸国は日本の勝利をどう見ていましたか?
A. 日本の同盟国だったイギリスでさえ、その強さに驚き、恐怖や嫌悪感を抱いたと言われています。孫文の日記によれば、勝利のニュースが流れたロンドンの街は静まり返っていたそうです。
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