明治時代

日露戦争とは?大日本帝国の命運を賭けた大戦争の光と影を解説するよ

軍艦(明治時代)

 

日露戦争は大日本帝国と帝政ロシアの間で1904年に勃発した戦争です。南下政策を続けるロシアに対し、日本は朝鮮半島の独占権を守る為に宣戦を布告。19カ月間に渡り、日本近海と満洲南部、遼東(りょうとう)半島が戦争の舞台となりました。

 

では、日露戦争において日本は何を得て、何を失ったのでしょうか?

 

南下するロシア帝国

西郷従道 幕末

 

極東へと南下を開始するロシア帝国は、幕末の頃から日本の脅威でした。日本はロシアの勢力が朝鮮半島に及ぶのを回避すべく、李氏朝鮮を属国とする清帝国と日清戦争を戦い朝鮮の独立を認めさせ大韓帝国とし、さらに遼東半島を清に割譲させロシアの南下に楔を打ち込もうとします。

 

これに対しロシアはフランス、ドイツと共に遼東半島の返還を求める三国干渉を起こし軍事力で劣る日本は渋々同意して遼東半島を清朝に返還しました。ロシアは返還された遼東半島を清から借り受け、満洲に大軍を駐屯させて南下を開始。大韓帝国への圧迫を開始します。

 

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日本大規模な軍拡に踏み切る

国会議事堂

 

ロシアとの衝突もやむなしと覚悟した日本政府は軍備拡張を開始。1900年には国家予算の50%を注ぎこんで軍艦建造に注力しますが、それでも軍事費はロシアの1/3に過ぎませんでした。

 

一方で、軍拡による重税により国民の間には反戦気分がまん延し、日本政府も戦争を回避する方向で外交交渉を続けますが、ロシアは約束を破っては南下を繰り返し、日本の世論は一転して開戦やむなしに傾きます。1902年に締結した日英同盟の追い風もあり、1904年2月日本はロシアに宣戦を布告し日露戦争が始まります。

 

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【西洋文明に遭遇した日本の開国秘話に迫る!】
こんにちは西洋

 

薄氷を踏む勝利の連続

兵士旧幕府軍敗北シーン

 

開戦当初において日本を脅かしたのは旅順にいるロシア艦隊でした。ロシア艦隊は度々出撃して、日本の輸送船を撃沈し大陸における日本軍の補給を不安定にしていたのです。

 

そこで日本海軍は入口の狭い旅順港に輸送船を爆沈させて沈め、旅順艦隊を閉塞させようとしますが猛烈な反撃を受け、完全に旅順艦隊を閉じ込める事は出来ませんでした。次に日本は遼陽会戦でロシアのクロパトキン将軍を破り奉天まで撤退させますが、追撃するだけの補給がなく沙河を挟んで睨み合いが続きます。

 

この間、ロシアが本国から世界を半周してバルチック艦隊を極東に派遣するニュースがもたらされ、バルチック艦隊と旅順艦隊が合流する事を恐れた日本は、旅順港を見下ろす二百三高地を持つ旅順要塞を陥落させ二百三高地に観測所を置いて、陸上からの砲撃で旅順艦隊を撃滅する必要が発生しました。

 

ここまで帝国海軍は旅順港は自力で落とすとメンツにこだわり陸軍との共同作戦を断ってきましたが、とても意地を張れる状況ではなくなり共同作戦を承諾。乃木希典を総大将とする第三軍が編制され、旅順要塞攻略が開始されます。

 

しかし、旅順要塞はコンクリートで塗り固められ、各陣地に毎分500連発のマキシム機関銃が配備された世界最新の防御陣地に変貌しており、日本は5か月間の戦いで1万5400人の戦死者と44000人の負傷者を出した末、要塞を陥落させます。

 

後顧の憂いが消えた陸軍は沙河を越えて奉天会戦をおこない、ロシア軍を退却させる事に成功しますが、もはや追撃する弾薬も予備兵力もなく後はバルチック艦隊に対して、日本海軍がどれだけ善戦できるかに懸かっていました。

 

日本海海戦において日本海軍はバルチック艦隊を完全殲滅させる海戦史上の奇跡を成し遂げ、この勝利により日本はギリギリの勝利を拾いポーツマス講和会議に参加する事が可能になります。

 

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苦労した外国債の調達

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

日露戦争開戦時の1904年の日本の国家歳入は3.3億円でしたが、日露戦争の戦費は18億円にも到達しました。足りない戦費を補う為政府は国債を発行しますが、国内だけでは資金調達出来ず外国債を発行します。しかし世界の投資家は日本が戦争に負けると考えていて日本債は不人気でなかなか売れませんでした。

 

日本銀行副総裁の高橋是清は、関税収入で必ず国債償還は可能であると外国人投資家を粘り強く説得。序盤の日本軍勝利の効果もあり、何とか13億円の巨額の資金を集める事に成功します。

 

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増税につぐ増税が暴動に繋がる

 

ロシアとの開戦が不可避となった時から、日本政府は国家予算の50%を軍事費につぎ込み、増税となって国民生活に跳ね返りますが、戦争が始まると、さらに増税が繰り返され地租は2.5%から5.5%へ所得税は1.7倍に増税されました。

 

それでも、奉天会戦(ほうてんかいせん)の大勝利を得た時点で日本の国力は限界に到達し、それ以上戦争を継続するのが不可能になりますが、政府は講和に傾いているロシアが態度を硬化させる事を恐れて、正確な戦況を国民に知らせませんでした。

 

そのため新聞は日本の戦勝のみを過剰に報道し、多額の賠償金と領土割譲が望めると国民を煽り続ける事になったのです。しかし、ポーツマス講和会議で示されたのは、賠償金0、南樺太の割譲、大韓帝国に対する日本の保護権の承認など重税に耐えて来た国民が到底受け入れる事が出来ない内容でした。

 

全国各地では講和会議を非難する集会が開かれ、日比谷焼討事件のように暴徒化した民衆が政府官庁や交番、警察署を焼討する大暴動が発生したのです。

 

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日本史ライターkawausoのまとめ

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

日露戦争の勝利で日本はロシア軍の根拠地であった旅順と大連の租借権を引き継ぎ、同時に東清鉄道の旅順ー長春間支線の租借権も獲得し、満洲の資源開発に着手します。

 

また西洋万能の時代に非白人である日本が欧州の大国ロシアを破った事は、同じく西洋の侵略と搾取に苦しめられるアジアの人々に希望を与え、独立運動が活発化しました。日本は世界八大強国に数えられ西洋列強と肩を並べるようになります。

 

こうした光の部分があった一方で、日露戦争の戦死者病死者は8万人、負傷者は15万人に上り、働き手を失い増税で財産を失って貧困に喘ぐ人々や、戦争で負った後遺症や障害で復員しても働く事が出来ず、貧困から犯罪に走る帰還兵も大勢出現しました。

 

戦費を外国債と増税で賄った政府に、これら戦争の負の部分をケアする力はなく国内で貧富の格差が広がり、政府への不信感から社会主義運動が台頭していきます。

 

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