
教科書や歴史ドラマでおなじみのあの偉人たち。実は、その輝かしい功績の多くが後世の創作で、実在そのものが疑われている人物がいることをご存知でしょうか。
この記事の目次
お札の顔「聖徳太子」と、義経の家来「武蔵坊弁慶」
一人目は、過去に7回もお札の肖像画になった飛鳥時代の政治家、聖徳太子です。彼の数々の偉業はすべて後世になってから記されたものであり、彼が生きていた時代の資料にはその記録が見つかっていません。ただし、モデルとなった「厩戸王(うまやどのおう)」という人物の実在は確定しています。
- 聖徳太子の偉業に関する同時代の記録は見つかっていません。
- しかし、モデルとなった厩戸王は実在していました。
- 二人目の武蔵坊弁慶も、五条大橋での決闘や弁慶の立ち往生といった有名なエピソードは、同時代の資料には登場しません。
- ただし、鎌倉幕府の公式文書『吾妻鏡』には名前が出てくるため、モデルとなった人物は存在したようです。
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天才軍師「山本勘助」の謎
三人目は、武田信玄に仕えたとされる天才軍師、山本勘助です。低い身分から信玄に見出され、数々の策で主君を支えたとされていますが、その活躍が記されているのは江戸時代初期の『甲陽軍鑑』という軍学書だけです。長らく架空の人物とも言われてきましたが、近年になってモデルとなった「山本菅助」という人物に関する資料が発見され、実在の可能性が高まっています。
- 山本勘助の活躍は、後世に書かれた『甲陽軍鑑』にしか見られません。
- 長年架空の人物説がありましたが、近年モデルとなった人物の存在を示す資料が見つかりました。
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【まとめ】偉業は創作でも、モデルは実在した?
聖徳太子、武蔵坊弁慶、山本勘助。彼らの伝説的なエピソードの多くは後世の創作である可能性が高いですが、完全に架空の存在というわけではなく、それぞれモデルとなった実在の人物がいたようです。歴史ロマンと史実の狭間にある真実を知ると、また違った視点で歴史を楽しめますね。
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Q&A:よくある質問
Q. 聖徳太子は本当にいなかったのですか?
A. 「聖徳太子」として伝わる超人的な偉業を持つ人物は存在しなかった可能性が高いですが、そのモデルとなった皇族「厩戸王(うまやどのおう)」は実在しました。
Q. 山本勘助は架空の人物ですか?
A. 長らく架空説がありましたが、近年「山本菅助」という人物の資料が発見され、実在したモデルがいることは確実視されています。ただし、講談などで語られるような天才軍師としての活躍がすべて事実かどうかは別問題です。
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