尚侍とは奈良・平安中期頃まで機能していた朝廷の女官の役職です。当時の役人というと男性だけのイメージですが、実際には男性が入りにくい後宮での仕事に女性が必要であり、何百名という宮女が働いていました。
宮女の官職は男性役人とは別モノでしたが、昇給も出世もあり上の官職を目指して努力していたのです。そんな宮女の憧れが秘書課の長官、尚侍でした。
女房とは奥さんの事ではない
平安時代の才女、紫式部や和泉式部、清少納言は女房と呼ばれますが、この3名は死別したり離婚で独身だったので朝廷に仕えている間には、誰かの奥さんではありませんでした。
では、女房とはどういう意味かというと朝廷の官職の上級職には、専用の房(部屋)が与えられていました。この自分の部屋を持った高級宮女を女房と呼んだのです。つまり、紫式部や和泉式部、清少納言は、今風に言うとキャリア女性という事になるのです。
宮女の職場は天皇の后妃が住んでいる奥御殿で天皇が住まう住居である内裏の北半分を占めていて後宮とも呼ばれます。そこには、後宮十二司という役職があり、何百名という女性が働いていたのです。
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後宮十二司とは?
宮女たちが配属されていた後宮十二司とは、
①内侍司(秘書課)
②蔵司(三種の神器等を管理)
③書司(書物と楽器の管理)
④薬司(薬の管理)
⑤兵司(武器を管理)
⑥闈司(城門の鍵を管理)
⑦殿司(後宮の清掃、灯、薪炭の管理)
⑧掃司(掃除係)
⑨水司(飲料水の管理)
➉膳司(料理係)
⑪酒司(お酒の管理)
⑫縫司(裁縫係)
このように12の課に別れていました。男女差別で言うのではありませんが、裁縫や料理や清掃だけではなく、武器の管理や重労働な飲料水運びも女性で管理していたんですね。古代の方が男女の職業差は小さいような気がします。
宮女の花形内侍司
12存在した司で一番人数が多く、かつ人気があったのが内侍司で、こちらは天皇の秘書のような仕事をしていました。内侍司の内訳は、尚侍が2名、典侍が4名、掌侍4名、女孺100名でしたが、尚侍は天皇の側近で臣下が天皇に対して提出する文書を取り次いだり、天皇の命令を臣下に伝える役割で、尚侍は城門の鍵を扱う尚蔵も兼務していたそうです。
清少納言は枕草子で度々、尚侍を話題にし、「是非とも内侍司に推挙してあげよう」と褒められて喜ぶシーンもあります。ただし内侍司に昇進するのは、下働きの女孺は別として相当大変でした。
天皇に近い為に有力貴族の妻に独占される
内侍司に昇進するのが難しいのは当時の高級貴族が、自分の妻を争って尚侍に推挙したからでした。天皇の側近くに仕え、天皇の命令や天皇への報告が全て尚侍を通してなされる事を知った貴族は、妻や娘から宮廷の極秘情報を手に入れて権力闘争で優位に立とうとしたのです。
藤原不比等の妻の県犬養三千代、藤原房前の娘、藤原袁比良、左大臣藤原長手の妻、大野仲仟、内大臣藤原良継の妻、阿倍古美奈等が任命されています。
元々、内侍司は、さして高い地位ではありませんでしたが、高級貴族の娘や妻が就任するので、次第に給与と地位が上がり、そのために増々花形の職業になっていきました。
このように尚侍になるには能力ばかりでなく家柄も関係しましたが、絶対に成れないわけでもないので、キャリアウーマンを目指す宮女にとっては、挑戦する価値があったのです。
任命されなくなる尚侍
しかし、権力者の妻や娘が就任するようになると、尚侍は次第に実務を失い名誉職になって職務から離れていき、10世紀末頃から女御・更衣に準じて後宮に列するようになりました。それにより、実際の女官としての業務は典侍以下が担ったと考えられます。
名誉職になった事で実態は消えていき、後一条天皇の中宮、藤原威子のように東宮妃・后妃となる前の箔付けのために尚侍となった例も出てきます。
こうして、平安時代後期から尚侍はほとんど任命されなくなり後宮十二司も整理統合されて、内侍司に一本化されていきます。後宮にも男性官人の仕事が増えていき、尚侍は室町時代以降の中世後期には任命の例は無くなっていきました。
時代が降り、明治時代の女官制度改革によって宮中女官の最高の官名とされますが、実際に任命された例はなく、大正時代末期に摂政宮(昭和天皇)が整理統合を行い、その職名も廃止されました。
日本史ライターkawausoの独り言
尚侍は、天皇の言葉を伝え、臣下から天皇への上奏を取り次ぐなど男性官人に負けない重要な仕事をしていて給与も季禄に従い、男性並みに受けていたようです。
しかし、古代日本も次第に男性優位の社会になっていき尚侍は称号になり、内侍司は残りの11司を吸収して規模を縮小していき、女性が官僚として日本の政治に関与していく事は戦後まで絶えてしまうのです。
参考:Wikipedia
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