日本には八百万の神々がいる……と良く言われます。これは何も実際に八百万の神様がいて、その名前があって……というのではなく、日本の宗教的な価値観をも意味しているとされています。
つまり森羅万象に、様々な場所に、様々な場面で神を感じる日本人には、無限の神様がいる……という意味を内包しているのです。じゃあその八百万の神々の中で誰が一番強いのランキング~……は実は必要ない!?
実は日本の神々は既にランキングされていた!?今回はそこに触れてみたいと思います。
この記事の目次
日本の始まりと神様と神様の出会い
ではまずは日本という国の誕生から簡単におさらいしていきましょう。昔、神々の住む高天原という所に五人の神様がおりました。この五柱の神様は大地を作り、その土地を管理するための十二の神々を生み出します。
その中にいた伊邪那岐命と伊邪那美命は国作りを命じられ、天沼矛で島を作り、そこに降り立って声をかけて出会って結ばれ、そこで始めて日本という国が生まれるのです。
八百万の神々、色んなものからめっちゃ生まれていく
そうして二人の神から色んな神々が生まれていくのですが、火の神を産んだ伊邪那美命は大やけどをしてしまい、病床に倒れます。因みに病床において吐瀉物や排泄物からも神様が生まれたりしちゃいます。
そして伊邪那美命は亡くなり、妻を取り戻すために伊邪那岐命は黄泉の国に行くのですが、結局変わり果てた姿を見た伊邪那岐命は逃走。最終的に二人は別れることになり、ここの喧嘩で人間には寿命が生まれてしまったのでした。
更にまた色々な神々が生まれていく中で……太陽神誕生
黄泉の国から帰った伊邪那岐命は禊を行い、この際にもまた神々が沢山生まれます。この中で有名なのが、三貴子とも呼ばれる天照大御神、月読命、建速須佐之男命でしょう。
また天照大御神と建速須佐之男命の喧嘩の中でも神々が生まれたりしますが……まあそれは置いといて。さてこれだけいるなら誰が最も強いか、人気があるか……とランキング分けしたくなるのは人の性ですが、なんとこのランキング分け、既に太古からされていたのでした!?
もちろんその理由、ご説明しましょう。
信仰と神々の歴史と
さて最初期、高天原に最初の神々がいました。彼らは天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神としっかり名前があり、伊邪那岐命と伊邪那美命に国作りを命じたある意味上司……ですが、これ以降、彼らの名前は出てきません。
逆に最後の方に出てきた天照大御神は太陽神であり、日本神話の神々の中ではトップとして扱われる神です。また天照大御神は天皇家の祖とされて日本各所で天照大御神信仰が見られるものの、例えば最初期の一柱である天之御中主神を祀る神社は、平安時代の『延喜式神名帳』では見ることが出来ず、近世においてその信仰が広まったと考えられています。
八百万の神々、既にランキング分けされていた!?
ではどうして神々でこういった信仰差が生まれたかと言うと「身近であるかどうか」が鍵だと思うのです。太陽は万物の源、太陽が無ければ生きていくこともままならない……という話は日本書紀にも出てくるように、また天皇家の祖と言うこともあり、天照大御神は何よりも身近で、崇めるべき神でした。そしてこの信仰の差、これはつまり既に太古から「八百万の神々はランキング分けされていた」ということにならないでしょうか?
人々の信仰は、身近であればあるほど強くなっていく
因みに天之御中主神が信仰されたのも、北極星の神格化である妙見菩薩と習合されるようになってからと言われています。つまり神々は身近であり、ご利益があればあるほど信仰され、良く知らない神々ほど、人々からは忘れられ、神格化され、強い神々とされていくのです。
まずは知っているかどうか、更にそこから、自分にどういった恩恵があるかどうか、また害をもたらすかどうかで神格化が強まる……これは「無意識のランキング分け」ではないか、と思う筆者でした。
実はあの神様を崇めていたのは平家の皆さん!
最後に余談を。天照大御神と須佐之男命が喧嘩した際に天照大御神から生まれた神様の一人の子孫が、日本の初代天皇である神武天皇です。これは天照大御神の持ち物から生まれた神様です。
対して須佐之男命の持ち物から生まれた神様は、厳島神社(他各所)にて祀られています。彼女たちは宗像三女神として崇められ、平安時代末期の神主と平清盛との結びつきから、平家一門の守り神とされたのでした。これもまた時の権力者と神々との繋がりであり、歴史の一幕ですね。
戦国ひよこライター センのひとりごと
さて、古来より日本人は自然に対して、神格化をする傾向がありました。しかし太陽や海、水や雷などの自然だけに留まらず、人物の一人を神格化することもあります。付喪神という神様もいるように、長年使う道具にも神々を見出しました。
これが八百万の神々、という言葉を体現したような感覚であると思います。神は一人ではなく、各々の傍に。格付けをすることなく、各々の信じる身近な存在を大切にする、そういう考えを持っていたのかもしれませんね。
どぼーん。
参考:古事記