皆さんのお家の家紋はどのようなものでしょうか?
例えば有名な「葵」紋。その葵紋一つとっても色々な種類があり、見ているだけで面白いものです。何かの折にはご自身のお家の家紋、調べてみるのも楽しいですよ。
さて、今回はそんな家紋と細川藤孝の家紋についてのお話。そこに細川藤孝の息子・忠興と、そこから後の時代に起きた悲劇まで、ここでは触れてみたいと思います。
この記事の目次
細川藤孝が使用していた家紋のひみつ
まずは細川藤孝が使用していた家紋のお話から。細川藤孝が使用していた家紋は「丸に二引き両紋」という家紋です。
丸を書いて、そこに真ん中ら辺に二本線を引いた形の家紋ですね。
そして実はこの家紋、ちょっとしたスキャンダルな?家紋でもあります。何故ならばこの「丸に二引き両紋」という家紋は、足利将軍家の家紋であるからです……!
細川藤孝の家紋が、将軍家との繋がり証明になる?
これはある種公然の秘密めいたお話ではありますが、実は細川藤孝、父親は三淵晴員とされているのにも関わらず、将軍の落とし種であるという説があります。そしてそんな細川藤孝が利用していたのが足利将軍家の家紋……そう、これはこれらの説が本当であったことの証明!
……というのはまあ本当の所ははっきりしてはいません。そもそも細川家が清和源氏足利氏の支流であり、その縁からこの家紋を利用していたからです。こちらはそういう可能性も、とだけお話しておくに止めましょうか。
息子・細川忠興、織田信長に家紋を貰う
後に細川藤孝は明智光秀と友誼を育み、その縁から織田信長に仕えることになりました。その際に息子、細川忠興を織田信長に仕える小姓として貰っています。
そしてその細川忠興が細川家家紋としたのが、中心に●、その周囲を更に●が囲む「九曜紋」という家紋です。
これは小姓をやっていた忠興が信長が九曜紋を付けているのを見て羨ましがり、信長に自分もその家紋にしたいと頼んだ所、信長は快く下賜した、というお話があります。
九曜紋にした経緯には、実は密かな政治的意味が
さあここで細川家の経緯を。元々細川藤孝は将軍、足利義輝に仕えていました。しかしこの足利義輝は暗殺されてしまいます。
ここで藤孝はその弟、足利義昭を助けて行くこととなり、織田信長の協力を経て将軍にすることができたのです。ですがその後、せっかく織田信長と繋ぎを作ってまで将軍にした足利義昭は、織田信長と敵対し、細川藤孝を見捨ててしまいます。
ここで細川藤孝は将軍家に付き従うべきか、織田信長に付き従うべきか、思い悩んだでしょう。そして彼が選んだのは織田信長の側に付き従うという結論だったのです。そしてその決意の証として、息子の細川忠興に織田信長の九曜紋を下賜させるという事をやったのです。
それは一見、子供のおねだりから生じたエピソードに見えますが、その裏には細川藤孝が織田信長への忠誠を示すという、重大な意味があったのです。
戦国ひよこライター センのひとりごと
事件が起こったことで、これ以上の悲劇が起こらないように、と細川家では九曜紋を変えて、細川九曜というデザインにしたと言います。そのデザインですが、丸の大きさを変えただけなので……正直に話しますと、ぱっと見ではちょっと区別が付きにくいのですが……そこもまた、意味深ですね。
ともあれ家紋は時に家を守るために変える、そういうお話でしたとさ。ちゃぽーん。
参考:家紋の事典 徳川実紀
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