美濃の蝮とも呼ばれる斎藤道三。日本三大梟雄の一人でもあり、一介の僧侶から油商人を経て、大名にまで成り上がるという、この上ない下剋上を成し遂げた人物でもあります。
また有名な所では織田信長の舅でもあり、血の繋がりはないけれど明智光秀にとっては叔父にあたる人物という、中々因縁を感じさせる武将でもある斎藤道三。
しかしそんな斎藤道三の下剋上物語、実はその功績は道三一人のものではなかった!?今回はこの道三の下剋上物語とその功績について、お話ししたいと思います。
この記事の目次
僧侶から油売りへ、斎藤道三の転職歴
ではまず斎藤道三の華麗なる下剋上の歴史のおさらいを。実は「道三」は年を取って出家した後の名前ですが、便宜上ここでは道三呼びをさせて頂きます。
まだ若い頃、道三は京都のお寺で僧侶をしていました。しかしある日、還俗して「松波庄五郎」を名乗り、油売り屋の娘を娶って油商人となります。とはいえ油売りは他にもお店、つまりライバル店がいるということで、何らかの差別化を図って自らのお店を引き立たせる必要がありました。
ここで道三の策謀の才が煌めきます……!
街頭パフォーマンスを誉められ、武士になることを決意した道三
道三は油を売る時に漏斗を使わず、一文銭を使うことを閃きました。一文銭の穴から油を注ぎ、穴から油が漏れればお代は頂きません!という該当パフォーマンスが受け、お店は繁盛することになったのです。
因みに一文銭、直径が2.4㎝とのことで、その真ん中の穴はもっと小さく……発想もさることながら、道三の技術力も中々のものではないでしょうか。それを見た武士から「そんなに器用なら武士でもやれば?」と言われ、資金を確保したこともあって道三は武士になることになったのでした。
目覚める道三の中の「親殺しの蝮の血」
ここで輝くのが嘗て僧侶をやっていた頃の伝手。道三はその伝手で美濃守護土岐家の家臣、長井長弘氏の家臣となり、断絶していた長井家家臣の西村家に入って西村勘九郎となって、才覚で土岐家の信頼も勝ち得ていきます。
ここで起こるのが土岐家のお家騒動、長男と次男の争いで長井長弘と共に次男の土岐頼芸をバックアップ。
見事に土岐頼芸が後を継ぐと、世話になった主である長井長弘に内通の疑いをかけて謀殺し、今度は長井家を継いで長井新九郎規秀となり、更にはこの後、美濃守護代の斎藤利良が亡くなるとその後を継いで斎藤新九郎利政となる……蝮の生態として「親殺し」があるとは言われていますが、正に家乗っ取りを繰り返す道三の姿は、美濃の蝮の姿が見えてきた瞬間とも言えるでしょう。
国さえ奪い取った蝮、最期は子に喰い殺される
最終的に道三は、土岐頼芸を追放して美濃の国を奪い取ることになります。ただの僧侶から大出世、生涯を賭けてとは言わないまでも、約30年をかけての国盗り。こうして美濃の蝮と呼ばれる、斎藤道三の恐ろしさは近隣諸国まで轟くようになるのですが……道三の最期もまた、皮肉なものとなりました。
子、義龍との争い、戦いに負けた道三は討死。美濃の蝮は、蝮の子に喰い殺されることとなったのです。
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美濃取りは道三一人の功績ではなかった!?
最期は皮肉なものとは言え、道三の功績と言えば一人の青年の才覚と野心に溢れる成り上がり、国盗り物語。ある種、戦国時代の浪漫の一つと言っても良いでしょう。
しかし。近年ではこの「功績」が道三だけのものではないことが説として挙げられています。簡単に言うと「道三の出世国盗り物語は、道三の父親と道三、親子二代に渡ってのもの」と言うことなのです。これは近江の大名であった六角氏が書いた手紙から、その内容が確認され、こちらの親子二代の功績説が定説となりつつあります。
親子二代の国盗り物語、その功績配分
この親子二代の国盗り物語、どんな功績配分かと言いますと、今回お話した道三ののし上がりストーリー、殆どが父親の方の功績となります。道三の配分としては、土岐家のお家騒動辺りからが道三の功績となるんですね。
このため「え~!成り上がりストーリーの大半が父親の功績じゃな~い」なんて言われてしまうようになった道三ですが、土岐氏追い出し、やってきた織田家を追い返す、娘婿・信長との対談……これらの部分は道三の力であり……多少は浪漫には欠けるものの、やはり美濃の蝮の能力としては申し分ないとも言えるのではないでしょうか。
根強い美濃の蝮、斎藤道三の魅力
さて斎藤道三の功績、親子二代の国盗り物語が定説となってきているとは言いましたが、従来の道三のイメージが完全に覆った訳ではありません。何よりも今までの梟雄・斎藤道三のイメージは根強く、この親子二代の国盗り物語の功績が広まってきている中でも、道三一代での国盗り演出はやはり「定番」とされているのも現状です。
それはきっと斎藤道三の魅力、だから。定説は定説で、しかし物語の浪漫は浪漫で、どちらも軽視することなく、楽しめるのもまた、歴史の面白さではないでしょうか。
戦国ひよこライター センのひとりごと
個人的な感情部分だけで話しますと、実は「親子二代の国盗り説」が広まった来た時には
「ええ~!道三が一人でやったっていう方が面白いのに~!」なんて思ってしまったものですが。
しっかりとした歴史を学ぶこと、それと同じくらい楽しく歴史を知ることもまた、大事ではないかとも思いました。どちら一つではなく、どちらも知った上で、更にどう楽しんでいくか。そういう落としどころを考えるのも、歴史の醍醐味と言えるのかもしれませんね。
どぼーん!
参考:美濃国諸旧記