戦国時代の海戦と言えば、木津川の戦いや厳島の戦いなどが連想されます。
でも、戦国時代の軍船とはどういうものなのか?室町時代のそれとどのように性能が違うのか?等はなかなか説明しにくのではないでしょうか。そこで今回は、戦国時代に活躍した3種類の軍船の構造や性能を解説します。
戦国時代の軍船は主に3種類
戦国時代には造船技術も進歩し、主として3種類の軍船、安宅船、関船、小早船が活躍しました。ここでは、3種類の船の性能についてデータで見てみましょう。
名称 | 構造物 | 櫓 |
安宅船 | 総矢倉、帆柱、天守台、大砲(船首)、矢狭間、盾板 | 30〜100 |
関船 | 総矢倉、帆柱、矢狭間、盾板(竹) | 20〜70 |
小早船 | 半垣、矢狭間、盾板(竹) | 20程度 |
番外:盲船 | 船全体を盾板で覆う、廻転砲 | 不明 |
データで見ると、安宅船が最も大きく、構造物も総矢倉から、帆柱、天守台、大砲、盾板と様々な装備を揃えている事が分かります。
歴史的に見ると、元々は関船が大型軍船だったものが、造船技術の進歩により、さらに大型で頑丈な安宅船が登場した事で、巡洋艦のような役割にランクダウンしたようです。
信長の鉄甲船は、安宅船の盾板を鉄板にしたものではないかとも考えられています。
しかし、安宅船は大きさと頑丈さの代償に動きが遅いので、白兵戦となると主力は関船や、さらに軽量化が進んで快速になった小早船となりました。
戦国時代の戦艦 安宅船
安宅船は四角いフォルムを持つ軍船で、櫓の数は30〜100もあり、風がある時には帆で走り、戦時には櫓を漕いで進んだようです。軍船の周囲は総矢倉と呼ばれる小屋で囲われ、その上から盾板と呼ばれる分厚い板で覆いますが、こちらから攻撃できるように狭間と呼ばれる穴があけられ、そこから矢や鉄砲で攻撃できるように工夫されています。
天守台という構造物を持ち、舳先には大砲一門が格納され、正面の敵に砲撃を喰らわす事が可能でした。攻守ともに安定していますが、重量がある分動きが鈍く、単体というよりは関船や小早船との連携によって活きてくる軍船と言えます。
戦国時代の巡洋艦 関船
関船は、安宅船が登場するまでは海戦の主力でした。大砲こそ搭載していませんが、総矢倉と盾板を持ち帆走と櫓による走行ができます。また、舳先を尖らせる事で水の抵抗を減らして速度が上がるように工夫されていました。
軽量化の為に、安宅船は天守台を持たず、盾板も分厚い板ではなく薄板や竹にするなど軽量化が図られ、櫓の数も20〜70程度と安宅船よりは小さくなっています。
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戦国時代の駆逐艦 小早船
小早船は、関船をさらに小型化して軽量化した軍船です。シルエットは関船とあまり変わりませんが、総矢倉ではなく半垣と呼ばれる低い塀で四方を囲っています。船足はもっともはやく、伝令や連絡役として活躍しました。
戦国の潜水艦?盲船
盲船は、戦国時代の軍船の一種で、船の上部全体を盾板でことどとく覆った装甲軍船です。兵法神武雄備集という書物によれば、盲船には狭間もなく窓へ盾を充てて囲い、天井も板か竹で覆った船であり、大坂冬の陣で九鬼義隆が使用したそうです。
盲船は城を攻撃する船で大阪城の濠を移動しながら廻転砲で砲撃しました。名前は敵に発見されないよう、船体を低く水面スレスレに設計したステルス機能に由来し潜水はしないですが潜水艦のような役割も持っていたかも知れません。
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