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戦国時代の戦の作法と手順、開戦準備はどんな感じだったの?

16/08/2020


合戦シーン(戦国時代の戦)

 

誇張されたコミックやドラマなどを見ていると、戦国時代の「いくさ」というのは、だまし討ちも夜襲も放火も暗殺も、もはや「なんでもあり」の野蛮な乱戦だったように思えてしまいます。

 

ところが、実際には、意外にも戦の開始までは整然とした手順があり、戦場にも独特の作法があったようです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「戦国イベント」の整然としたシロウト槍部隊どうしの衝突は、意外に正しい?

馬にのり凱旋する将軍モブ

 

たとえば、こういうことがないでしょうか?

 

コミックやドラマなどで壮絶なスペクタクルに描かれている戦国時代のイメージを持っている人が、地方の「戦国時代ゆかりの土地」のお祭りなどを見に行き、当時の戦を再現したというイベントを観覧した場合。

 

足軽a-モブ(兵士)

 

きっとこう思うでしょう。

「なんだい、槍をもったシロウトがぞろぞろと出てきて、長いヤリを「えい!えい!」とぶつけあっているばかり。ぜんぜん、当時の戦の再現じゃないじゃないか!」と。

 

ところがこうした、シロウトくさい集団が槍で互いに押し合いへしあいするのが、戦国の戦の標準的なスタイルだったのかもしれないのです!

 

羽柴秀吉(足軽時代)

 

実は戦国時代というのは、「足軽(あしがる)」という存在が大活躍をした時代。ふだんは農村で百姓生活をしており、戦の時にだけ駆り出される、大勢の男手が、主戦力だったのです。そういう「ふだんは本職(たいていは農業)のある、一時的な雇われ兵」たちが得意にしていた武器が、長槍でした。

 

戦国最強の部隊は「長槍をもったシロウト集団」!?

曹操(後漢王朝)とローマ帝国

 

実は長槍というのは、地味なようでいて、最強に近いところがある武器なのです。日本に限らず、古代ギリシアや古代ローマでも、槍をズラリと構えた兵団の行進が、けっきょく一番強力だったという事例には事欠きません。

 

一向一揆(農民)

 

そもそも長槍というのは、普段は戦場に出ていないシロウトが持っても、それなりに使いこなせる便利なもの。もちろん「長槍を巧みに使って正確に相手の急所を貫く」などというのは熟練の名人芸となりますが、そんな技術を持っていなくても、

 

・大勢が槍を敵にむけてズラリと並んでいるだけで、うかつに騎馬突撃ができない防御壁になる

・大勢が槍を構えて集団で前身するだけで、敵陣を中央突破できる強力な「重戦車」になる

 

という次第。

 

よって、お祭りのイベントなどで、シロウトの人たちが槍を持って集団で現れて、敵の槍部隊と「えい、えい」と、押し合いへしあいをしている姿は、意外にも、戦国時代の戦の様子をかなり再現できているのかもしれないのです。

 

実際の戦はどのような手順で始まった?

軍議(日本史)モブa

 

ここで戦国時代の一般的な「戦の手順」を整理しましょう(以下は、株式会社G.B.『戦国 戦の作法』(小和田哲男)を参考にしております)。

 

・軍議を開き作戦を決める(ドラマでもよく出てくる、地図を真ん中において胡坐をかいて座った武将たちがワイガヤ議論をする、あれです)

 

・軍師が占いをして、吉の出発日や方角を決める(日本における「軍師」は、このような祈祷師的な役割をする人であり、三国志でいうような「軍師」とは少し違います)

 

・敵と遭遇し、合戦と決まると、陣太鼓や鏑矢、「えいえい、おう!」の掛け声などで、気合を入れる

 

・長槍をもった部隊が、敵の長槍をもった部隊とガチンコ衝突し、おしあいへしあいする

 

先述の通り、戦国時代における長槍は、敵を突き刺すことより、殴ったり叩いたり押したりして、相手を力押しにする道具でしたので、戦のメインスタイルは、「槍によるボコボコの殴り合い」。

 

その競り合いで形勢が決まってきたところに、

・ようやく騎馬隊が突撃し、一気にカタをつける、

という手順でした。

 

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鉄砲が登場した後も戦場の主力は「シロウトの足軽集団」!

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

ここで慧眼な方なら、

「鉄砲が登場したら、このような長槍中心の部隊はひとたまりもないのでは?」

と思ったかもしれません。

 

火縄銃(鉄砲)

 

全くその通りで、戦国後期になると、鉄砲隊が戦場の様相をガラリと変えてしまいます。

 

長篠の戦い(鉄砲一斉射撃)

 

ただし当時の鉄砲というものは、プロフェッショナルが使うものというよりは、これまた、大勢のシロウトの足軽が持って、一斉に発射する「集団の為の武器」でした。大勢で長槍を振り回して敵軍とぶつかり合っていた、普段は農業をしている足軽集団が、今度は大勢で鉄砲の一斉射撃をして、敵軍と撃ち合いをするところから戦争を始めるようになった、という違いで、やはり戦国時代の主役は、「有象無象の足軽たち」だったようです。

 

まとめ:もしかすると鉄砲というものは当時の日本人の国民性にとても適っていた?

武田騎馬軍団 馬場信春

 

こうしてみると、戦国時代の戦いの中心はシロウトくさい足軽たちのワイガヤな集団戦、それでだいたい形勢が決まってから、ようやく華々しい「騎馬突撃」が、あくまで仕上げとして行われるような順番だったようです。

 

戦国史ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

それにしてもオドロキなのは、鉄砲の普及率でしょうか。当時の百姓兵のような「シロウト」でも、鉄砲というものは、

「練習すればだれでも使えるようになる手ごろな武器」としてたちまち愛用されてしまったようです。

 

鉄砲隊を率いる今川義元

 

装填にたいへんな手順がかかるはずの当時の鉄砲ですが、それを当時の足軽たちがたちまち使いこなし、「これは便利!」と愛用するようになっていたのだとすると、もしかすると鉄砲というのは、当時の日本人の国民性や気性に、とても適っていた武器だったのかもしれませんね。

 

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通説では「ダメ人物」とされている人について、史料に則しつつも「こういう事情があったのではないか?」と「弁護」するテーマが、特に好きです。愚将や悪人とされている人物の評価を少しでも覆してみたい!がモチベーションです。日本人の「負けた者に同情しがちな心理」大切にしたいと思っています
【好きな歴史人物】
南朝側の武将全員!

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