美濃のマムシ、斎藤道三。ご存知、織田信長の舅、つまり信長から見ると「お義父さん」となる人物ですね。この斎藤道三の娘が、一般的に「濃姫」と呼ばれる人物であり、信長の正室としても有名です。
その濃姫の名前が「帰蝶」であることもまた良く知られているとは思いますが、その本人である帰蝶自身については良く分かっていないことが多くあります。今回はこの「帰蝶」という名前についても、少し考えてみたいと思います。
この記事の目次
濃姫という名前、帰蝶という名前はどこから?
ではまず織田信長正室、そのお名前から・
まず信長公記によると、織田家家臣、平手政秀によって織田家と美濃の斎藤家、つまり織田信秀と斎藤道三の和睦、そして二人の息子、娘の政略結婚が結ばれます。ここで結婚したのが織田信長と、濃姫、つまり帰蝶です。
が、ここで濃姫の名前、及び、帰蝶の名前は出てきません、ここでこの姫君は「斎藤道三の娘」としか分からないのえす。
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濃姫という名前が出てくるのは、もっと後の時代?
ここで次に出てくるのが、武将感状記などの書物です。そこで信長の正室として「濃姫」という名前が出てくるのですが、この書が刊行されたのは1716年であり、そもそも濃姫が既に過去の人になってからのこと。
このため、この濃姫という名前は「信長の正室の名前が分からなかったため、美濃からきた姫として便宜上「濃姫」という名前を付けた」と考えられています。このことから、現代でも濃姫という名前で呼ばれる作品は多くありますね。
帰蝶という名前が出てきたのは
さて、ここで帰蝶という名前に触れてみましょう。蝶と言う文字から儚げであり、可憐な姫君のような印象を受ける名前であると思います。しかしこちらも江戸時代に成立したとされる記録に散見しているとされて、実際には帰蝶という名前であったかどうかも分かりません。
ただ名前の文字の印象から、書物やドラマなどではこの帰蝶という名前で演出されることが多く、私たちにも馴染みとなった名前の一つでもあると思います。
帰蝶、及び濃姫の存在のあやふやさはどういうことか
ここで思い出して欲しいのが、織田信長という存在。恐らく誰しもが一度は名前を聞いたことがある戦国武将ではないでしょうか。それ故に、色々な物語の題材にされることも多くあります。その正室が帰蝶、濃姫なのですが……彼女の存在には、謎が多く付きまといます。
なんと織田信長の正室であるのに子供がいたかどうかすらあやふや。下手をすると名前どころか、在命していた時期まで良く分かってないというのです。
帰蝶が生きていたのは一体どこまでか?
そんな帰蝶は
「そもそも嫁いできてからすぐ死んだよor殺されたよ」
「本能寺まで生きていて夫と戦って戦死しちゃったんだよ」
「関ケ原まで生きていて天下の末を見定めたんだよ」
など、様々な生存年が囁かれています。
早逝説は子供がいたかどうかすらはっきりしないという理由がありますが、それにしても織田家には帰蝶縁、美濃の武将たちも多くいますし、彼らは帰蝶がいたからこそその縁を頼ってきたのでは……とも考えられます。個人的な意見を言うと、天下の行く末を知ってから亡くなる織田信長の正室、というのは何だか浪漫があってよいですね!
……残念ながら、はっきりとは分からないのが現状ではありますが。
織田信長の妻としての「帰蝶」の名前
さてここからは「帰蝶」という名前に付いて述べていきましょう。はっきりと帰蝶という名前かどうかは分からないものの、近年のドラマや物語ではこの名前こそが濃姫の名前として語られるシーンが多くあります。名前の可憐な響きもそうですが、同時に「信長のヒロイン」としての帰蝶という名前ですね。
特にドラマで使用された「信長の帰る所」としての正室、帰蝶という名前の意味はとても良いと思いました。戦国時代、正室はお世継ぎを産むことも大事ですが、家を取り仕切る、夫のサポーターとしての力も要求されたと思います。
それに当たって、例え子供がいなかったとしても、それが他の女性の役割となったとしても、織田信長の唯一傍に居る女性、帰る場所となった「帰蝶」という姿は、新しい帰蝶の描き方であったと思います。
父親・斎藤道三の娘としての「帰蝶」の名前
そしてもう一つ、ここからは筆者の個人的な好みの問題なのですが。父親である斎藤道三が、娘に帰蝶という名前を与えた説です。
とあるゲームの話ですが、道三が娘に帰蝶と名を付けたのは「どこに行っても、蝶のように自分の下に帰ってきて欲しい」という意味を込めたという話がありました。
斎藤道三といえば美濃のマムシ、日本三大梟雄の一人、それに時代は戦国時代。そんな時にそんな甘っちょろい考えでいる訳がない、というのは最もですが、それでも尚、叶うことはないと思いながらも娘に帰蝶と名付けた。
そんな斎藤道三の姿もあっては良いのではないか、未だそう思ってしまう筆者です。
■戦国ひよこライター センのひとりごと
最後は帰蝶というよりも斎藤道三の話になってしまいましたが。というよりも筆者の悪い癖!を出してしまった結果ですが。人間と言うのは見えている一面だけではなく、色々な面があって然るべきではないかと思います。
そうとするならば、どこかに人間味の、それこそ現代のどこかの一父親としての一面を持つ斎藤道三の面があっても良いのでは、なんて考える筆者の話でしたとさ。ざぶーん。
参考:
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