江戸時代

江戸時代の大名にも格差があった!誰が上で誰が下だったのか調べてみた

名古屋城

 

江戸263年間、日本を代表する存在であり続けた大名。三百諸侯(さんびゃくしょこう)と呼ばれた彼らは、御三家(ごさんけ)のような将軍家に近い大名を除くと石高の違いはあっても、将軍の下に横並びだったイメージがあると思います。

 

しかし、実際の大名は石高、将軍家との関係の近さ、出自により細かくランク分けがされ、横並びの平和な存在ではなかったのです。

 

封建とは細かいランク付けで成立する

 

江戸幕府は、親藩(しんぱん)譜代(ふだい)外様(とざま)のように将軍家との関係で大名の格を決めていた事はよく知られていますが、実際の格はこれだけではなく目に見える待遇でも差をつけました。理由は2つあり、1つは将軍家を頂点とする身分制のピラミッドを築く事で、秩序を維持しいつまでも徳川家を崇めるように仕向けていったという事。

 

そして、もう1つは300もの大名を細かくランク分けして身分差をつける事で大名を対立させ、協力して幕府に(そむ)くのを阻止しようとした為です。細かいランク付けは煩雑な儀式と非効率を伴いますが、それが大名を統治する基本なので幕末に至るまで、これらのランク付けが大きく見直される事はありませんでした。

 

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城を持てない大名・持てる大名

仙台城

 

第1に目に見える格差について紹介しましょう。私たちはなんとなく大名というと皆んな城を持っているイメージですが、実際に城を持っているのは、全大名の半分程度でした。

 

名称 家数(幕末期) 特徴
国持大名(くにもちだいみょう)(国主) 国持と国持格

あわせて20家

1ヵ国以上、もしくは1ヵ国

に相当する領地を有する大名

国持(かく)大名 1ヵ国は有しないが国持大名に

準じる格付けがなされた大名

城持(しろもち)大名 128家 幕府公認の城を持った大名
城持格大名 16家 城は持たないが、城持ち大名に

準じる格付けがなされた大名

城なし大名(1万石以上) 111家 築城を認められず陣屋に住んだ城を持たない大名。

 

一応、石高が3万石以上になると築城の権限を保有するのですが、実際には幕府に願い出ても許可が下りない事が多かったようです。城を持たない大名ってなんだかショボいですよね。

 

ただ、お城は私たちが考えている以上にメンテナンス費用が(かさ)み、3万石以下の大名の財力では城を築いても維持・管理が出来ないので、一概に理不尽な格差とは言えない部分もあります。

 

ただ、陣屋(じんや)住まいの大名の中には天守閣や(やぐら)を持たないだけで高い石垣を巡らし濠まで構えた堅牢な陣屋を築いてプライドを満たす人もいました。

 

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江戸城の待機場所の格差

江戸城

 

江戸城に登城して将軍にお目見えする事になる大名ですが、彼らが将軍に挨拶する為の待機場所も大名のレベルにより違いがありました。

 

大廊下(おおろうか) 徳川御三家や将軍家ゆかりの外様大名
溜之間(ためのま) 井伊家などの有力譜代大名。臣下最高の部屋
大広間(おおひろま) 従四位(じゅしい)以上の親藩や外様大名
帝鑑之間(ていかんのま) 江戸時代以前から徳川家に仕えた譜代大名
雁之間(がんのま) 江戸時代以降に徳川家に仕えた城持ちの譜代大名
菊之間(きくのま) 江戸時代以降に徳川家に仕えた城無し譜代大名
柳之間(やなぎのま) 大広間に殿席を与えられなかった外様大名
芙蓉之間(ふようのま) 町奉行や勘定奉行などの幕臣を割り当てた

 

これは上位になるほどに将軍に近くなっています。例えば、相良藩(さがらはん)の藩主であった田沼意次は、有力譜代大名が詰める溜之間にいました。元々、田沼意次は紀州藩の足軽を父としていた人物であり破格の出世でしたが、徳川家重の死によって没落し5番目の雁之間に落されています。

 

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江戸城での服装の格差

 

江戸時代の大名は江戸城内の服装においても違いがありました。特に正月の2日目まではランクによって服装が厳格に決められていたのです。

 

服装 持物 ランク
直垂(ひたたれ) 風折烏帽子(かざおりえぼし)、殿中差し(小刀)末広(すえひろ)(扇)長袴(ながばかま) 従四位かつ侍従以上の地位

御三家、御三卿、越前松平家

国持ち大名、溜之詰譜代大名

狩衣(かりぎぬ) 風折烏帽子、殿中差し(小刀)末広(扇)短い袴 従四位以上の大名や吉良や織田というような高家(こうけ)
大紋(だいもん) 背中、袴の左右、袖の左右に家紋を染めた衣装

大袴、風折烏帽子、殿中差し、末広

従五位で十万石以下の大名

が着用する。

熨斗目(のしめ) 肩衣+長袴=長上下、熨斗目(礼服の内側に着た衣服) 正月3日目より将軍から下、全員が熨斗目になる。

 

着ているものが違うというのは、現在でも大きな格差を感じさせますが、身分制社会の当時は猶更の事だったでしょう。ただ、正月の間中、ずっと服装が違うというのでは下位大名に劣等感を与えると考えたのか、単純に着なれない直垂や狩衣が面倒になるのか、正月の3日目からは将軍から大名、幕臣まで熨斗目になりました。

 

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注意喚起の格差

 

現在でも私達は、騒がしい周りを静かにさせる時に、人差し指を口元に当ててしーっ!と言ったりしますが、これは「警蹕(けいひつ)」と言い江戸城で将軍にお目見えする時に「静粛に」という意味で使われる儀礼行為でした。

 

この警蹕は、江戸城内の御坊主が担当していましたが、廊下でもこの警蹕や、もう少しランクが低い咳払(せきはら)いが発せられる事がありました。

 

ただ廊下において警蹕を受けられるのは、将軍、徳川御三家、御三卿、老中、若年寄、将軍側近の御側衆のみで、次の咳払いは越前松平家、溜之間詰めの井伊家などの有力な譜代大名、それに国持ちと呼ばれた18の外様大名だけでした。それ以下の大名は、警蹕も咳払いも掛けられないという区別をされたのです。

 

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江戸屋敷の広さ

戦国時代の武家屋敷a

 

大名達は屋敷の広さでも差をつけられました。元々、江戸の土地を大盤振る舞いしていた幕府ですが、大名だけでざっと300人もいて、さらにそれらの大名が江戸に、上屋敷、中屋敷、下屋敷を構えるのですぐに土地が足りなくなり、石高に応じて坪数に差をつけたのです。

 

石高 坪数
10万石~15万石 7000坪
8万石~9万石 6500坪
6万石~7万石 5500坪
5万石~6万石 5000坪
4万石~5万石 4500坪
3万石~4万石 3500坪
2万石~3万石 2700坪
1万石~2万石 2500坪

 

このように国持ち大名と、ようやく大名と認められる1万石の大名では屋敷の面積も3倍弱の格差がありました。

ただ、1万石クラスでも2500坪なので、それは現代の感覚から見れば広大な屋敷ですね。

 

関所

 

大名は、これに加え屋敷の門構えでも石高によってランクがありました。例えば、10万石の大名が長屋から独立した門を構え、屋根に鬼瓦も置いた入母屋(いりもや)造りだったのに対し、5万石以下の大名は長屋を改造した門しか許されず、屋根も片庇(かたひさし)出格子(でごうし)になるなどグレードダウンします。

 

兵士(庶民・村人)

 

これにより門構えを見れば、屋敷の大名の石高が大体想像がついたのです。

 

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幕末のおじゃるズ公家
公家

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

江戸時代の大名は決して将軍の下に横並びではなく、そこからも細かく身分の序列が分れ、少なくとも江戸にいる間は、どっちが上でどっちが下というランクに従わないといけない窮屈な部分があったのです。

 

そうでなくても国許では一番偉い人である大名ですから、江戸では、複雑で厳格な身分の格差に、さぞかしプライドが傷つく事が多かったでしょうね。

 

参考文献:大名格差 江戸三百藩のリアル

 

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