江戸時代、大名は皆平等…かと思いきや、実はそこには厳格な「格差」が存在しました。幕府の役職から住まいまで、その違いは歴然だったのです。
この記事の目次
幕府の役職につけるのは「譜代大名」だけ
江戸時代の大名は、徳川家康との関係性によって「親藩(しんぱん)」「譜代(ふだい)」「外様(とざま)」の3種類に分けられていました。親藩は家康の子孫、譜代は関ヶ原以前からの家臣、外様は関ヶ原以降に従った大名です。この中で、幕府の重要な役職に就けるのは、古参の家臣である譜代大名だけでした。
- 親藩大名は、血縁が近すぎるために逆に警戒(敬遠)されました。
- 外様大名は、かつて家康のライバルだった子孫も多く、信用されていませんでした。
- 大名は約270の藩に分かれていました。
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「お城」が持てない大名もいた?
大名といえば立派なお城に住んでいるイメージがありますが、実はお城が持てるのは「国主5万石以上」の大名に限られていました。5万石以下の大名は、石垣と堀を巡らせた「平屋(陣屋)」に住んでいたのです。
- 参勤交代で江戸に来た際の屋敷の作りも、石高(こくだか)によって差がつけられました 。
- 江戸城に登城した際も、将軍との関係の近さで待機する部屋が違いました。
- 待機部屋ごとの「ドレスコード(服装の決まり)」にも差がありました。
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大名は「家の格」に縛られていた
このように、江戸時代の大名は、役職、住まい、江戸城での扱いに至るまで、常に「家の格」によって厳しく区別されていました。現代人が想像する以上に、コンプレックスを感じながら生きていたのかもしれませんね。
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Q&A:よくある質問
Q. 大名の種類は何がありましたか?
A. 主に「親藩(徳川家の子孫)」「譜代(古くからの家臣)」「外様(関ヶ原以降の家臣)」の3種類に分類されていました。
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Q. 全ての大名がお城を持てたのですか?
A. いいえ。お城が持てるのは国主5万石以上の大名だけで、それ以下の大名は「平屋(陣屋)」に住んでいました。
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