暴れん坊将軍の強さは本物だった!猪を殴り殺し力士をぶん投げた徳川吉宗

30/06/2022


徳川家家紋

 

暴れん坊将軍といえば、徳川幕府8代将軍、徳川吉宗(とくがわよしむね)の事です。テレビ時代劇が有名になりすぎて試験で、徳川吉宗は(まる)将軍と呼ばれた?という設問に暴れん坊将軍と書いた生徒がいたとか…

 

本当はサンバ将軍なんですが(嘘)さて今回は、暴れん坊将軍、吉宗の強さについて解説してみましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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紀州藩主徳川光貞と召使いの母お由利との間に誕生

名古屋城

 

徳川吉宗は徳川御三家の1つ、紀州徳川家2代藩主、徳川光貞(とくがわみつさだ)の4男として誕生します。母は紀州徳川家の召使い巨勢六左衛門(こせろくざえもん)の娘であったお由利(ゆり)でした。

 

逸話によると、光貞が風呂に入っている時、湯殿番をしていたお由利に遊び半分で湯をかけると、お由利は負けずに湯をかけ返したので気に入って側室にしたとされます。吉宗の物怖じしない豪胆な性格は生母のお由利譲りかも知れません。

 

しかし、幼少期の吉宗は両親の下では育てられませんでした。それは当時光貞が48歳と高齢で高齢の父の元では子供が丈夫に育たないとする迷信があったからで、紀州藩家老の加納政直(かのうまさなお)が養育を任され、おむつという乳母に5歳まで育てられました。

 

本当の父母の愛に飢えていたせいか、元々乱暴者だったのかは分かりませんが吉宗は大変な悪童として成長したそうです。

 

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はじめての明治時代

 

 

身長180センチ、力士に相撲で勝つ

 

徳川吉宗の身長は少年期で180センチほどもあったそうです。これは伝聞で真実は不明ですが、和歌山城下に来た光貞お抱えの相撲取りと相撲を取り、投げ飛ばして勝ってしまったという逸話があります。

 

もっとも、当時の力士は大名がスポンサーなので4男とはいえ、藩主の息子に勝って恥をかかすのはマズいと力士が手加減した可能性もあります。

 

ただ、吉宗の体格が立派でなければ、大柄な力士と相撲を取らせようと光貞も考えないと思うので、吉宗が大柄な体をしていたというのは事実かも知れません。また、吉宗は足が大きく巨大なわらじを履いていたという逸話もあり、当時としては大男だったのではないでしょうか?

 

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西郷どん

 

 

鷹狩で自分に向かってきた猪を叩き殺す

馬にのり凱旋する将軍モブ(兵士)武士

 

徳川吉宗は、綱吉時代から贅沢になった幕府の放漫財政を引き締めて、質素倹約に励みましたが、一方で武士は軟弱であってはいけないと鷹狩(たかが)りを年に十数回もやりました。

 

鷹狩りというのは、狩り手である将軍と側近十数名、それに勢子と呼ばれる大きな音を出して獲物を一カ所に集める役の人、数百人が参加するスポーツです。最後に将軍が鷹を放って追い詰められた獲物をハントするのですが、その日は陽が暮れるまで馬で走り回る事になり、とても疲れます。

 

こんな大変な鷹狩を吉宗は疲れる様子もなく嬉々としてやり、ある時手負いの猪をハントしようとしますが、疲れ果てた家臣は誰も猪を仕留められず怒り狂った猪が吉宗に突進するハプニングがありました。

 

猪の首の筋肉は、オスで70キロ以上の重量を動かす事が出来ます。さらに猪は時速45キロ以上で走れるので、猪の鋭い牙で突かれて突きあげられると人間は簡単に吹き飛ばされ、致命的な出血に繋がります。

 

しかし、吉宗は慌てず火縄銃の台尻(だいじり)で突進する猪の脳天をブン殴り仕留めたそうです。沈着冷静で豪胆な吉宗は正に暴れん坊将軍と言えるでしょう。

 

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ガンバレ徳川

 

 

 

女性関係も暴れん坊

お酒が強い篤姫

 

さて、褒めてばかりでもアレなんで、そろそろ落します。吉宗は紀州藩の殿様時代から倹約家であり、江戸に上って将軍になっても大奥改革に真っ先に手を付けて大幅なリストラをして経費を節減しました。

 

こういう逸話があるので、女性関係は堅いのかなと思いきや、実は女性遍歴も派手で「夜も暴れん坊将軍」オーレ!だったようです。

 

幕末 大金を使い豪遊する尊攘派志士

 

それこそ、道を歩いて気にいった女性がいれば側室にし、休憩で立ち寄った茶屋の娘を側室にし、こんな感じなので後年に将軍になった後で、将軍の隠し子を名乗る人が続々登場。有名な天一坊事件(てんいちぼう)もそんな隠し子騒動の1つでした。

 

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庶民には好かれなかった暴れん坊将軍

日本史 小判(お金)

 

時代劇では人気の暴れん坊将軍ですが、実際の吉宗の経済政策は幕府の経費を削減し、収入を増すよりも支出を削減するものであり、庶民に倹約を強いて、同時に年貢を五公五民にし、凶作でも豊作でも増減しないと決めます。

 

それまでの税率、四公六民は大分昔から据え置かれていて、その間に耕作地が広がり、米の収穫量が増大していたので、税率は2割7分6厘まで下落していましたが、改めて五公五民になった為に測り直され、額面上は1割の増加でも税率は倍になったのです。

 

また、当時、武士の俸禄は米で支払われていたのですが、米余りから価格が下落し、武士の収入が減少、対照的に物価は値上がりし、さらに武士の生活は苦しくなりました。

 

鉄甲船

 

そこで吉宗は米の供給量を減らせば米の価格も上がると考え、米を買い入れて備蓄すると共に、諸藩に命じて米の貯蔵と江戸と大坂への米の輸出を制限させます。

 

それでも米の値段が下落するので、吉宗は宝永金と藩札を解禁して通貨供給量を増やし、インフレ誘導で米価の高騰を狙いますが、諸藩は解禁された藩札で領内の米を買い、大坂で売って銀にかえようとしたので、大坂に米が集まり、さらに米価が下落します。

 

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

大岡忠相などの経済官僚は、金銀の品質を悪くし通貨供給量を増やさないと米高にはならないと主張し、吉宗も提案を受け入れて元文元年(1736年)幕府は金銀貨幣の改鋳をします。この時は金と銀の含有量を下げたものの、利ザヤを稼ごうとはせず、減らした分の金銀で貨幣を増加させたので、通貨供給量が増えてゆるやかなインフレになり米価はようやく上昇し、武士の生活は落ち着きました。

 

一向一揆(農民)

 

しかし、米の高騰は庶民の生活を直撃、増税もあって、暮らしていけなくなった庶民による一揆が頻発したのです。

 

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俺達尊攘派

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は、暴れん坊将軍が、どれだけ強かったかについて解説してみました。時代劇で松平健が演じる吉宗ほどではありませんが、実際の吉宗も相撲取りに勝利したり、猪を火縄銃の台尻で殴り殺すなど、肉体が頑強で強かったようです。

 

しかし、経済政策では、幕府財政や武士の生活再建を優先し庶民の生活が苦しくなるなど、庶民に人気がある暴れん坊将軍のイメージとは違っていたようですね。

 

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