日本に実在したリアル戦闘民族「薩摩隼人」。その恐ろしさは、家康を恐怖させ、大英帝国とも互角に渡り合うほどでした。
この記事の目次
関ヶ原から幕末まで、最強の伝説
「薩摩隼人」「鬼島津」と呼ばれ、恐れられた薩摩(鹿児島)の兵士たち。その戦闘民族ぶりは歴史の節目で発揮されました。関ヶ原の戦いでは、西軍として敗北したにもかかわらず、「東軍総大将・徳川家康の本陣の横を突っ切るとショートカットできる」という理由で、なんと敵中突破を敢行。本陣直前でカーブして撤退しましたが、これにはさすがの家康も肝を冷やしたといいます。
- 関ヶ原の戦いでは、敵の大将である家康の本陣近くを突破して退却しました(島津の退き口)。
- 幕末には、大名行列を横切った外国人を切り捨てる「生麦事件」を起こしました。
- これに対しイギリスが賠償金と犯人の引き渡しを要求しましたが、「犯人は逃げた。金が欲しいなら腕ずくで来い」と拒否しました。
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大英帝国と戦争し、新選組も恐れた強さ
生麦事件の翌年、薩摩藩は幕府に無断で、当時世界最強だった大英帝国と戦争(薩英戦争)に突入します。イギリス艦隊の攻撃で鹿児島城下は灰になりましたが、薩摩側も反撃し、敵の艦長と副艦長を戦死させ、事実上の引き分けに持ち込みました。また、薩摩藩士は一撃必殺の剣術「薬丸自顕流」の達人揃いで、あの新選組局長・近藤勇でさえ、隊士たちに「薩摩藩士との斬り合いは避けろ」と命じたほどでした。
- 薩英戦争では、世界最強のイギリス艦隊相手に、艦長を戦死させるほどの反撃を見せました。
- 戊辰戦争(会津戦争)では、薩摩藩士に斬られた敵兵は顔面が真っ二つになり、見分けがつかないほどだったといいます。
- そんな鬼のように強い薩摩隼人ですが、実は弱者にはとても優しく、いじめが大嫌いという一面もありました。
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【まとめ】弱者に優しく強者に強い「ナイスガイ」
家康を震え上がらせ、イギリス軍と渡り合い、新選組に恐れられた薩摩隼人。その戦闘力はまさに「地球最強」と呼ぶにふさわしいものでしたが、その一方で弱きを助ける優しさも持ち合わせた、真の武人たちだったのです。
Q&A:よくある質問
Q. 薩摩藩士が使っていた剣術は何ですか?
A. 「薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)」です。初太刀(一撃目)にすべてを懸ける強烈な剣術で、新選組も恐れるほどの威力を持っていました。
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Q. イギリスとの戦争の結果はどうなりましたか?
A. 鹿児島城下は焼かれ大きな被害を受けましたが、薩摩側もイギリス艦隊に砲撃を命中させ、艦長らを戦死させるなど大損害を与えました。結果として、世界最強のイギリス相手に事実上の引き分けに持ち込みました。
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