幕末

示現流とは?幕末に恐れられた一撃必殺の薩摩剣術

薩摩藩士の猿叫

 

示現流(じげんりゅう)とは、薩摩藩(さつまはん)を中心につたわった古流剣術です。

流祖は江戸初期の薩摩藩士東郷重位(とうごうしげかた)ですが、その後長く薩摩藩で伝授され続けて門弟が増えていき江戸後期の藩主島津斉興(しまづなりおき)の時代には御流儀(ごりゅうぎ)とされ分家の佐土原藩(さどはらはん)を除いて藩外の者に伝授する事を禁じられた御留流(おとめりゅう)でした。

幕末には多くの薩摩藩士が学び、他藩に恐れられた示現流とは、どんな剣術なのでしょうか?

 

様々な流派が混ざった示顕流

hanjiro-nakamura(桐野利秋(中村半次郎)

 

薩摩のローカル剣術に見える示現流ですが、開祖の東郷重位は若い頃はタイ捨流(しゃりゅう)を学び、天正15年(1587年)島津義久が豊臣秀吉に降伏し上洛するとき、重位もこれに従います。

 

そして天寧寺の僧、善吉(ぜんんきち)に出会い彼の剣術、天真自顕流(てんしんじけんりゅう)に開眼し、修行後に薩摩に帰国しました。その後、重位は天真自顕流にタイ捨流の技術を組み合わせて工夫を施し示現流を創始したのです。

 

このように少なくとも、示現流には、タイ捨流と天真自顕流の技術が混ざっています。また、薩摩のローカル剣術太刀流(たちりゅう)の開祖、田中雲右衛門(たなかくもえもん)は、東郷重位と交流があり、お互いに技を伝えたと言われます。だとすると、示現流は3つの流派の影響を受けている事になりますね。同時に示顕流の門弟からは、薬丸自顕流の開祖、薬丸兼武(やくまるかねたけ)などが出て独立しています。

 

示現流の稽古風景

 

示現流の稽古には、イスノキの木の枝を適当な長さに切り、時間を掛けて十分乾燥させた物を木刀として用います。基本姿勢は右肩の上辺りで刀を立てて構える蜻蛉(とんぼ)という構えですが、構えはこれだけではなく、中段や下段の構えもありますし、室内では脇差を使う技もあるそうです。

 

稽古では、蜻蛉の構えから、立木に向かい木刀を左右に激しく撃ち下ろす「立木打(たちきう)ち」をします。通常、稽古では立木打ちを大人は最低1000回は打ち込むそうです。これは反復を重視した稽古であり、考えなくても無意識に打ち込めるように体に覚えさせるやり方で、達人になると打ち込みと同時に摩擦で立木から煙が上がります。

 

armor(鎧を身にまとう武士)

 

この太刀を振り下ろす時の気合が猿叫と呼ばれるもので、よく知られるチェスト、ではなくエーーーイ!というものですが、気合が入り込むとキエエエエエーー!という鶏の鳴き声のようになります。

ただ、12代宗家師範、東郷重徳(とうごうしげのり)氏によるとチェストは猿叫の一つではあるようでチェストという叫びを全く上げないとまでは言えません。

 

【攘夷魂!テロに走ったサムライ達】
俺達尊攘派

 

一撃必殺ではあるがそれだけではない

shinsengumi(新選組)

 

示顕流は一の太刀を疑わず、あるいは二の太刀要らずと言われ、髪の毛一本でも早く打ち下ろせと教えられます。1人で大勢を相手する戦国の剣術らしく、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける先手必勝の鋭い斬撃が特徴です。ただ、よく言われる示顕流は初太刀をかわせば素人同然というのは誤りで、ちゃんと連続技も存在します。

 

isami-kondou-shinsengumi(近藤勇-新選組局長)

 

この「初太刀(しょだち))を外せ」というのは新選組局長、近藤勇(こんどういさみ)が言った事のようですが、近藤は「薩摩者と勝負する時は初太刀を外せ」と言っただけで示顕流とは言ってないようです。これは薩摩の下級藩士が好んで学んだ、より習得が簡単で初太刀に重点を置いた薬丸自顕流(やくまるじけんりゅう)の事であると考えられています。示顕流と薬丸自顕流、名前が似ていて紛らわしいので混同が起きたのでしょう。

 

坂本龍馬の臨終

 

ただし、いかに示現流に二の太刀があるとはいえ、立木から煙が上がる程の反覆稽古を繰り返す薩摩藩士の鋭い斬撃をかわすのは容易な事ではなく、恐れて受け止めようものなら、自分の刀を頭にめり込ませ頭蓋骨を陥没させて死ぬ程の強烈な斬撃を浴びせられました。この事から示顕流は日本最強の剣として、特に佐幕派の藩士に恐れられたのです。

 

ジーンズ姿でも稽古できる

えのころ飯を食べる薩摩藩士

 

示顕流は、いついかなる場面でも戦える「生活に根付いた実践性」を追及している立場から、いつでも敵と対峙できるように平服姿でも稽古に参加できます。また、生活のシーンに合わせTシャツとジーンズ姿やスーツ姿でも稽古する事が容認されています。ただ、示現流に道着がないわけではなく、公式演舞では和服や道着を着用して演舞をしているそうです。

 

それから「剣を握れば礼を交わさず」という教えから木刀を握る者や稽古中の者に対しては欠礼も許されています。確かに真剣を握って、どうも、どうもなんて挨拶するバカは実際にはいませんから実戦的な考え方ですね。

 

琉球空手にも影響を与えた示現流

 

江戸時代を通じて薩摩藩の支配を受けていた琉球国にも示現流は伝わり、薩摩を介さずに示現流を学んだ同じ琉球人から伝授を受ける人間が現れ逆に幕末には、空手の達人松村宗棍(まつむらそうこん)のように薩摩に渡って伊集院弥七郎(いじゅういんやしちろう)につき示顕流を学ぶ人間もいました。

 

この事から、琉球空手には薩摩示顕流の影響があると言われ、空手の稽古で使う巻藁は示現流の立木打ちに影響を受けたものとも、一撃必殺の空手の思想は、示現流の「初太刀を疑わず」にルーツがあるとも言われますが、明らかにはなっていません。

 

日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

以上、示現流について解説してみました。

 

現在の示現流は、もちろん門外不出ではなく他府県民にも外国人にも開放されていますが、開祖東郷重位以来の、実践に即した稽古方法は、江戸時代にスポーツ化してしまった諸流派から見ると、ローカル剣術としての異質さを保っていると言えるでしょう。

 

参考:Wikipedia等

 

関連記事:西郷どんのチェストの意味は?西郷隆盛と示現流のチェスト関係性を分かりやすく解説

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