ほのぼの日本史をご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは織田信長です。
戦国時代には無数の合戦が起きていましたが、城が落ちたり、敵軍が潰走するような明確な勝利はあまりありませんでした。大体は、両軍がチャンバラをして膠着状態になったら引き上げる事が多くどっちが勝利したのか両軍とも分からない事が多かったようです。
ここからは、両軍の情報戦になり、双方が我々こそが勝利したと周囲に宣伝を開始します。信長は勝利を誇張する常習犯で信長公記では桶狭間に駐屯していた今川軍を45000人とかなり誇張して書いています。
それに対し、義元本陣に斬り込んだ織田勢は2000とあり22倍の敵に勝ったのだと盛んに吹聴したようです。こんな子供騙しが役に立つのか?と思いますが、織田軍の宣伝は今川の宣伝を上回って浸透し今川方からの寝返りは続出する事になります。
長篠の戦いで武田騎馬隊が木柵に突撃して壊滅したのも織田信長の流布したデマ情報であるようで、甲陽軍鑑には騎馬で突撃したとは書いていません。
参考文献:武器が語る日本史 徳間書店
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