世襲と聞くと世襲議員など、親の築いた地盤で飯を食っている無能の集まりとされがちです。しかし、世の中には良い世襲もあるのであり、伝統芸能の継承者などがそうでしょう。そして世襲の最たる存在が武士だったのです。
武士の成り立ちとは?
武士のなりたちは諸説あるのですが、その中で源氏や平氏になっていく軍事貴族については国司に賊徒を鎮圧する権限を与えた「追捕官府」が原因と考えられています。
源氏や平氏が、元々天皇の子であったものが代を経るごとに没落し、食べていくために「臣籍降下」を受けて源や平の姓を貰い地方に下りて行ったのは知られていますが、この人々が国司の取り巻きとして追捕を担い、次第に地元の豪族を取り込んで武士団を形成していったと考えられるのです。
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追捕官府のルール
しかし「追捕官府」は賊が出てきてから出すもので、軍隊は、その都度編制されていたので、武士団は普段から武芸を磨き、いつ召集があっても対応できるようにしないと「あっちの武士団はダメだ、使えない」という事になり他所の武士団に仕事を取られます。
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代々の武士団の当主は武芸鍛錬を怠らなかった
なので、代々の武士団の当主は武芸鍛錬を怠らず、賊討伐で蓄えたノウハウや武芸を相伝として子孫に伝えるようになり、軍事の専門家とも呼べる存在になっていきました。このような武士団のプロフェッショナル相手には、ただの野盗や山賊は相手にならず毎回簡単に手取りにされる事になります。
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日本史ライターkawausoの独り言
こうして武芸抜群の武士団が恩賞を元に勢力を拡大し国司と縁組したり京都に人間を送り込んで御所を守るようになり、軍事貴族である平氏や源氏が誕生します。武芸や馬術の訓練を幼くして始めた武士が強いのは当然で、これは世襲の効用と言えるでしょう。
参考文献:池田大伍編『新譯支那童話集』
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