噺家の小道具であり、日本舞踊にも欠かせないアイテムと言えば扇です。実はこの扇、日本で発明されて世界中に広まったってご存知でしたか?今回は日本でどのように扇が生まれたかを解説してみましょう。
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扇は携帯用木簡だった
現在の扇はあおいで風を送るための道具ですが、最初に誕生した扇には風を送る機能はありませんでした。紙が貴重だった時代、日本では薄く切った木簡に文字を書いていましたが、一枚の木簡に書ける文字数は限られるので、その内に複数の木簡を糸で綴って携帯するようになります。これは檜扇と呼ばれ、古代のメモ帳として平城京跡などの遺跡から大量に発掘されています。
元々は、木簡を要の部分で1つに束ねて折りたためるようにして、上部を糸で綴じただけの檜扇でしたが、コンパクトで機能的なので貴族の小物と化していき、文字ではなく表面に絵が描かれたり、装飾が施されるなどメモ帳としての機能を越えていきました。
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檜扇に和紙を張って扇が誕生する
檜扇が装飾化すると、真夏には何となく広げてあおぐ貴族も出てきたのでしょう。しかし、木簡を綴っただけの檜扇ではあおいだ所で大して涼しくありません。
中国からは、すでに団扇も伝来していたので団扇でおあげばいいのではありますが、団扇は折り畳みできないのでかさばり、仕事中にあおぐのも美しくありませんでした。そこで、木簡ではなく竹の骨組みに和紙を張り要で綴じて広げた「蝙蝠」と呼ばれるものが誕生します。これが現在の扇の元祖でした。
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どうして扇を蝙蝠と言うのか?
どうして、扇を蝙蝠と呼んだのでしょうか?
一説では、蝙蝠の羽を参考にして作られたからと言われていますが、それよりもシンプルに「紙張り」が「こうもり」に転訛したという説も有力です。元々、蝙蝠の古語は「かはほり」でこれは「皮張り」の意味であり、紙張りと似ていて、皮張りが先か、紙張りが先か、まだ判然としないようです。
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中国に渡り唐扇として逆輸入された扇
最初の頃、扇は片面に和紙を張っただけで骨の数も5本程度しかなく、使用も貴族と僧侶だけに限られていて、儀式や遊戯用とされていましたが、この片面張りの扇が鎌倉時代頃に中国に逆輸入され、紙を両面に張り骨の数も多い唐扇として日本に逆輸入されます。
やがて国内で唐扇を模倣した扇造りが始まり、室町時代には庶民にも扇の使用が解禁となり、伝統芸能の中にも取り入れられるようになりました。
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室町時代には広く普及
では、扇はいつ頃に普及したのでしょうか?
室町時代前期の公家、一条兼良の桃華蘂葉の記述には、「束帯の時には、夏でも檜扇を持つ、衣冠や直衣の時は非常に暑い場合には蝙蝠でも問題ないが、老人は檜扇を持つ。最近は春夏秋冬を問わず蝙蝠を持つ者がいて良くない事だ」
このような記述が登場し、すでに貴族の間で扇がかなり普及している事が分かります。ちなみに束帯というのは最上級の礼服で、衣冠や直衣はそれよりは少し落ちるフォーマルウェアと考える事が出来ます。正式な衣装を着たら、扇であおぐのはみっともないと兼良は考えている事が分かりますね。
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海を渡りカルメンの小道具になる扇
やがて扇には表面の和紙に美しい絵が描かれたり、金箔や銀箔をおして高価な贈答品となり、日本刀や屏風などと共に中国に輸出されました。再輸出です。
戦国時代になると、大航海時代を迎えたスペイン、ポルトガルが日本や中国の扇を独自の文化として受容し欧州の貴婦人の小道具として大流行します。例えばスペイン南部のアンダルシア地方の舞踊、カルメンでは踊りの小道具として「アバニコ」と呼ばれる扇が使われました。このように日本で誕生した扇は世界中で愛用される小道具となったのです。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は扇の歴史について解説してみました。
元々は、薄く切った木簡を糸で綴ってメモ帳代わりとしたものが檜扇と呼ばれていましたが、やがて木簡に代わり竹に和紙を張ったものが蝙蝠と呼ばれ、現代の扇の原型となっていきます。
扇は風を送るだけではなく、口元を隠したり、落語や講談、能、狂言の小道具として使われたり、遊び道具や応援のアイテムとなるなど、日本文化に欠く事ができない存在となりました。
やがて、コンパクトで機能的な扇は輸出品として中国、さらに戦国時代になると、スペイン、ポルトガルに輸出されて世界中で愛用される存在になったのです。まさに扇は世界に初めて認められたメイドインジャパンと言えるでしょう。
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