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本能寺の変に黒幕はいると思いますか?アンケート発表!

kawauso

 

ほのぼの日本史YouTube」をご覧いただき有難う御座います。こちらの記事は、Youtubeでのアンケートを取った『本能寺の変に黒幕はいると思いますか?』の解答記事です。

 

honobono-youtube(ほのぼの日本史Youtube)

 

今回のアンケートでは、1975票もの沢山の得票を頂きましたが、その中で33%の得票を獲得して1位になった明智光秀単独犯説にスポットを当ててお送りします。

 

千載一遇のチャンスに賭けた野望説

軍旗

 

明智光秀単独犯説の中でも、もっとも単純明快で野望(あふ)れる説が、明智光秀が千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスに賭けた説です。

 

織田信長から1万5千もの軍勢を預けられ、羽柴秀吉の救援を命じられた明智光秀が、丹波亀山城から出陣する時、大殿である信長と織田家の家督を継いだ織田信忠が僅かな供だけを引き連れ、同じく京都に滞在している事に気づきます。

 

さらに、柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀のような織田家の軍団長が畿内から離れて、信長を援護できる状態じゃない事から、「今こそ、信長を討って天下人になるチャンス!」と踏んで謀反したという血で血を洗う荒々しい戦国大名らしい説です。

 

肖像画の雰囲気にそぐわない荒々しい光秀の気性ですが、最近の研究では、比叡山焼き討ちを積極的に信長に勧めたのは光秀であるという証拠の書状も見つかり、文弱な光秀のイメージは変わりつつあります。こちらの説は7名の皆さんが支持しコメントしています。

 

軍議

①ウルトララトルウさん

秀吉の援軍を命じられて、よう考えてみたら「その日、上様は丸腰同然で本能寺。同僚武将の領地を通らずダイレクトに寝所に行けるじゃないか」ってことに気がついた。一見信じ難いけど遠大な計画ではなく、短期間で思いついた「とりあえずやっちゃった」説が一番矛盾がないように思う(^o^:)

 

MrYoshichan(ミスターよしちゃん)さん

事前にいろいろ準備した形跡がなく、信長父子がたまたま護衛の少ない状況で京都に逗留したため「今しかない」と急遽、決断したのだろう。

 

Toshichika(としちか)さん

光秀が単独でやったんじゃないの?

 

④ぶんですさん

昔から黒幕説は色々言われてるけど、本当にあるなら貴族の日記の中からそれらしい記述が発見されてもいいけどねぇ

 

aidoling(あいどりんぐ)さん

事件に関わっている人間が多ければ多いほど情報が漏れやすくなる。信長が討たれたのは光秀側の情報が全く入って来なかったからと考えれば単独犯でしょう。しかも、光秀が実際に動き出した時期はかなり遅かったはず。そう考えると辻褄が合うと思ってる。

 

少弐雪丸(しょうにゆきまる)さん

あれほどの大事件、陰謀だとしたらかなり大掛かりになるので必ずどこかでボロが出ますしそれが見れないなら単独犯と見るのが妥当ではないかと

 

稲岡漆(いなおかうるし)さん

あの犯行は事前準備も全く無しで、本能寺を襲撃した後になって光秀は公家達に根回しをしている。仮に黒幕がいたとしたら本能寺の変後にそれらしい連中と光秀は接近してるはずだけど、その様子もないし。本当に突発的な犯行である可能性が有力だと思ってます。

 

怨恨による謀反説

織田信長に恨みを持つ明智光秀

 

怨恨(えんこん)による謀反説とは、明智光秀が織田信長からパワハラや強引な領地の取り上げ等、理不尽な仕打ちを受け続けた為に、将来を悲観し、信長を討つ事が自分を救う事になるという緊急避難的な考えから謀反を起こしたという説です。

 

このような怨恨(えんこん)による信長殺害は、江戸時代から存在する息が長い説で、怨恨の数も多岐にわたります。

 

①飲めないお酒を飲むように信長に何度も強要された。

②信長の非情さのせいで、敵の人質になっていた生母を(はりつけ)にされ殺された。

酒席で下戸の明智光秀をいじめる織田信長

 

武田勝頼(たけだかつより)を滅ぼした際の些細(ささい)な一言で信長に激しく折檻(せっかん)された。

④安土城で徳川家康の接待時に出した魚が腐っており、信長に折檻された上に接待役を解任された。

飯がまずくてブチ切れる織田信長

 

⑤領国の丹波と近江を取り上げられ、落としてもいない毛利家の領国、出雲と岩見を切り取り次第と言われた等々、沢山の恨み辛みが重なり、信長への殺意を募らせて爆発した事になります。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん03 怒

 

この動機の場合、全くの衝動殺人なので、暗殺後の展開など考えているわけもなく、中国大返しで戻って来た羽柴秀吉に為す術なく敗れるのも仕方ないですね。国盗り物語など、昔の戦国大河ドラマでは、よく見られた説でもあります。

 

こちらの説は、3名の皆さんが支持しコメントしてくれました。

山端智(やまはさとし)さん

『毛利領、切り取り自在』(だったかな?)も信長にしたら褒美のつもりだったろうし。しかし光秀にとっては左遷同然。断ればクビになったかもしれんし、裏切るしかないような。

 

Asuka(アスカ) S.さん

そりゃあ煽った人間はいるでしょう。ただ、光秀が、社長の秘書だった光秀の叔母が亡くなり、年を取って気が短くなったオーナー社長から事前の約束を反古にされた上にパワハラ受けまくって(誤解があっても解いてくれる人がいない中で)疲弊した、悲しい中間管理職であった事だけはご理解下さい。ただでさえ、織田信長という人は説明下手ですしね(´д`|||)

 

③たまねぎトレーダーさん

とても計画性があったとは思えない。

 

本能寺の変の後になってからようやく、光秀は細川藤孝や麾下の武将に兵を出すように要請している。用意周到できめ細やかさに定評のある光秀の行動とは思えない。

 

出陣前にご挨拶に本能寺を訪れて、そこで過労で判断力の鈍っていた光秀に信長がぽろっと言ってはいけないことを言っちゃって、ブッツン・・・。気が付いたら血の海。慌てて陣に戻ってつじつま合わせのため謀反にしたものの~~

 

と考えると、前後の光秀らしからぬ行動も説明がつく。妄想だけどね。

 

【複雑な歴史もわかる日本史】
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プライド潰されブチ切れ謀反説

mituhide-aketi-honouji(明智光秀の本能寺の変)

 

明智光秀は、土岐源氏(ときげんじ)の出身とも言われ、教養もあり有能でしたが、プライドも高かったので、それを考慮せずに、光秀のプライドを土足で踏みにじる主君、織田信長の暴君ぶりに愛想が尽きた、或いはブチ切れて本能寺の変に突き進んだ説です。

 

近年では、四国説が有力で、それによれば織田信長は当初、明智光秀に四国の長宗我部氏の懐柔を命じ、光秀は重臣斎藤利三(さいとうとしみつ)の妹を長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に嫁がせて婚姻関係を結びました。

 

ところが、天正8年(1580年)に入ると織田信長が変心、羽柴秀吉と結んだ三好康長(みよしやすなが)との関係を重視して、長宗我部氏の四国統一を認めず、これに反発した長宗我部氏に対し武力による四国平定に方針を変更し、織田信孝(おだのぶたか)丹羽長秀(にわながひで)に四国討伐を命じます。

 

斎藤利三と密談する明智光秀

 

これにより光秀の面目は丸潰れとなり、重臣、斎藤利三と長宗我部氏を救うべく、本能寺で信長を討ち、全てを清算しようと考えたという説です。衝動説や怨恨説と比べて、やむに已まれず立ち上がったという印象が強く、理知的な感じなので光秀を善玉として描く小説などで採用されます。

 

こちらの説は、2名の皆さんが支持しコメントを頂きました。

山椒七味(さんしょうしちみ)さん

1577年〜明智、細川軍は丹波八上城(たんばやがみじょう)の戦いで1579年に波多野秀治(はたのひではる)らの助命嘆願(じょめいたんがん)⇔明智光秀の母で信長は波多野秀治らを(はりつけ)にして八上城に立て篭もる波多野一族は光秀の母を…。

 

1582年、丹波から中国地方へ一万二千で出陣間際、近江坂本と丹波を没収、代わりに出雲、石見の切り取り次第、と信長の口からではなく信長家臣の青山吉次から聞かされ光秀、重臣一同激怒‼️その頃信長親子は手勢わずか。まさに千載一遇。

 

②シェリノワールさん

斉藤利三は深く絡んでいると思う。四国の件で面子丸つぶれになった利三が暴発すれば、失敗は確実な上に明智家は取り潰されかねない。それならば明智家一丸となって信長を倒す他ないな、って感じなのかな。

 

そそのかされ、その気になっちゃった説

明智光秀の親友・吉田兼見

 

黒幕や陰謀という程、カッチリした話ではないが、定期的に光秀に謀反を焚きつけるような人物が存在し、様々な思惑が絡んだ結果、光秀が謀反したというサブリミナルな説です。明智光秀を唆した具体的な人物としては、元の上司である将軍足利義昭(あしかがよしあき)や、公家の近衛前久(このえさきひさ)等、畿内外交(きないがいこう)を担当していた光秀と接触が容易な人物が該当します。

 

こちらの説は、1名の方が唱えました。

①j nさん

明智光秀単独犯

公家や元将軍、あたりは、このまま信長ちゃんの余が続くと良くないことになるとか。光秀ちゃんには天下人の資質があるだとか、それとなく悪魔のささやきをしてたと思うけど。ばれたらまずいので、命令とか決定的なことは、しないと思う。

 

本当は叛くつもりはなかった説

忙しくて過労で倒れる明智光秀

 

本当は叛くつもりはなかったものの、結果的に謀反になってしまったというのが、この本当は叛くつもりはなかった説です。そんなトントンカンな事が可能か?と言えばない事もないのです。

 

実は、南北朝から戦国時代にかけて、守護大名が室町将軍の決定に異議を申し立てる為に一揆を結んで兵力を集め、御所を包囲して圧力を掛ける御所巻(ごしょま)きという作法が存在しました。

 

御所巻きは、古くは、貞和(じょうわ)5年(1349年)高師直(こうのもろのう)等が足利直義(あしかがただよし)一派の追放を求めて足利尊氏(あしかがたかうじ)の邸宅を包囲した観応(かんのう)擾乱(じょうらん)に始まり文正(ぶんしょう)元年(1466年)細川勝元、山名宗全らが幕府政所執事(まんどころしつじ)伊勢貞親(いせさだちか)一派の追放を求めて足利義政(あしかがよしまさ)の邸宅を包囲した文正の政変。

三好三人衆

 

近くは、永禄8年(1566年)には、三好三人衆が足利義輝(あしかがよしてる)の側近、進士晴舎(しんしはるいえ)等の処刑を求めて将軍、足利義輝の御所を包囲した永禄の政変があります。

 

つまり、明智光秀は信長を討つつもりはなく、丹波と近江の領地召し上げの撤回か、四国討伐の中止か、或いは両方を撤回させようと本能寺を包囲し御所巻きに及んだものの、信長が断固として要求を飲まなかった為に、引っ込みがつかなくなり謀反したという事になります。

 

nobunaga-oda-Honnoji(本能寺の変の織田信長)

 

本能寺の変の真相がこれだったら、日本史でもベスト5に入る間抜けな話ですが、それだけにとっても魅力的でもあります。

こちらの説は、1名の方が唱えました。

あちちあちちさん

自分は光秀公が御所巻きのようなことをしようとしたと思ってます!

 

正義の謀反説

明智光秀(麒麟がくる)

 

正義の謀反説とは、信長が日本社会を悪い方に変えようとしている事に不安を覚えた光秀が、信長を討つ事で歴史の歯車を正しい方向に戻そうと考えたという説です。

 

よく唱えられるのは、織田信長は天皇を廃し、自らが日本の支配者になろうと考えていたので、尊皇心(そんのうしん)に篤い明智光秀は座視できず、敢えて謀反人の汚名を()る事で日本を救ったというような説。

 

鉄甲船

 

また、信長が大艦隊を仕立てて、海外に撃って出る野望がある事を知り、日本にこれ以上の戦乱を呼び込まない為に信長を討った説。延暦寺焼き討ちや一向宗門徒への苛烈な虐殺を見て、信長を急進的すぎる改革者と見做して殺害、室町幕府を再興し穏健な改革を目指した説などがあります。

 

この場合、光秀は羽柴秀吉に敗れて土民に討たれるものの、その志は徳川家康に引き継がれ、江戸260年の泰平に繋がるという流れになる事が多いです。

 

こちらの説は、2名の方が支持し唱えました。

 

①やーうえいさん

信長の唐攻めを防ぐためかな

光秀の謀反起こしたのはわかる

国内の戦争でいっぱいいっぱいなのに他国まで行って

生き残るかわからない戦争しなきゃならない

原田(塙)直政のように戦地で死んだら敗戦の責任負わされて

家が取り潰しになる

そこに家康が関わってるかもしれないけど

 

井上聡(いのうえさとし)さん

光秀は朝廷に通じていたので、天皇を(ないがし)ろにする信長を危険視したと思います。黒幕がいたわけではなく、武士のあるべき姿として、天皇に奉じただけだと思います。光秀はそう動くと秀吉は読んでいたと思います。

 

 

本能寺単独犯説、動画まとめ

 

皆さん、本能寺の変、明智光秀単独犯説はいかがだったでしょうか?

 

一口に単独犯説と言っても、野望説、怨恨説、ブチ切れ説、そそのかされた説、本当は叛くつもりはなかった説、正義の謀反説など、バリエーション豊かな単独犯説が登場しましたね。

 

ほのぼの日本史では、今後も視聴者アンケートを通じて、日本史のミステリーに迫り、皆さんの意見を反映させた動画を製作致しますので、今後とも、「ほのぼの日本史YouTube」を宜しくお願い致します。

 

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