都市化が兵農分離を可能にした
戦国時代は、それまで京や鎌倉などしかなかった都市が商業の発達により博多や堺のような地方にも出現して、各地で独自の経済圏が出来た時代でした。
都市の生活では、土地を持たなくても銭を稼ぐ手段さえあれば食べていく事が可能であり、そこは、没落した武士や土地を失い窮迫した農民のような稼ぐ手段がない人々が傭兵として雇用され生きる場でもあったのです。
兵農分離は、なにも織田信長によってのみ行われたわけではなく、日本の都市化の進行が貨幣経済を発達させ、生活苦にあぶれた人々が傭兵として雇われ、戦場に出ていくのを可能にしたから生まれたという事が出来るのではないでしょうか?
戦国時代ライターkawausoの独り言
貨幣経済の発展が、土地を追われて食うに困った人々の金銭雇用を可能にし100年の乱世が、このような傭兵が活躍する下地をつくっていた。このように考えると、歴史というものは、少しの無駄もつくらず全ての人間を巻き込んでいくのだなと思わずにはいられません。
参考文献:最新研究が教えてくれる あなたの知らない戦国史 辰巳出版
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