なぜ戦国大名は仏教を信仰したの?

26/03/2021


singen-takeda(武田信玄)

 

戦国時代の大名と言うと、武田信玄(たけだしんげん)上杉謙信(うえすぎけんしん)、或いは斎藤道三(さいとうどうさん)のように出家した人が多いようなイメージがあります。

 

ドケチな斎藤道三

 

一般には明日をも知れぬ戦国の世で、戦国大名達も宗教に魂の救いを求めたと説明されがちですが、果たして本当にそれだけの理由で多くの戦国大名が出家したのでしょうか?

 

今回は戦国大名と仏教について考えてみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国大名と新仏教

五重塔(仏塔)仏教

 

鎌倉時代以前の仏教と武士ではあまり相性がよくありませんでした。古い平安仏教は多くの荘園(しょうえん)を持ち、特権階級と結びついて堕落し民衆の救済など考えなくなったからです。

 

荘園に逃げ込む鉄の職工達

 

その頃の武士は、そんな寺院の荘園を武力で横領する存在でした。しかし、鎌倉時代に入ると堕落した旧仏教に対し積極的に民衆の中に分け入り、救済を説く新しい仏教が興隆してきます。

 

戦国時代になると、禅宗、時宗(じしゅう)、真言宗、天台宗、浄土真宗、法華衆などが勢力を築き、時代を動かす原動力となった戦国大名へ接近していきました。

 

仏教宗派と戦国大名の相性

名古屋城

 

では、ここで、前述した仏教宗派と戦国大名との相性を図で見てみましょう。

 

宗派 大名との相性 概要
伝統仏教 × 寺院の領土を横領するなど敵対関係
禅宗  罪業消滅などを願い信仰。

教育機関や学僧を軍師として利用

時宗  陣僧として戦死者の供養や

治療に当たらせたり、外交に活用

真言宗 政治に介入してくるので多くの大名と敵対。

一部庇護する大名も

天台宗 政治に介入してくるので多くの大名と敵対。

一部庇護する大名も

浄土真宗 各地で一揆し他宗派や戦国大名と衝突。
一揆を利用しようとする大名と殲滅(せんめつ)しようとする大名でアクションが二分される。
法華宗 一向一揆とは別に法華一揆を起こし

戦国大名や天台宗のような仏教と衝突。
松永久秀のように法華宗を信仰している

大名もいる。

 

このように、禅宗と時宗は戦国大名に、魂の救済と人材と学問の場を提供して仲が良く、真言宗と天台宗は、政治に介入するので半々、浄土真宗と法華宗は一揆を起こし戦国大名と戦うなど、関係は全般的に良好とは言えないようです。

 

はじめての戦国時代

 

禅宗が武士にバカ受けした理由

織田信長

 

これらの仏教宗派の中で、もっとも戦国大名が好んだのが禅宗でした。その理由は念仏を唱えれば救われると説いたり、阿弥陀如来の力に(すが)れば極楽往生というような法華宗や浄土真宗の教えが、体育会系が多い戦国大名には生ぬるく感じたからです。

 

禅宗は上の者には絶対服従という上下関係が厳しい場所であり、秩序と規律を重んじ、厳しい修行の中で自ら悟りの道を開くというストイックな宗教であり、このような厳しさが戦国大名にウケました。

 

また、禅宗は座禅を重視しますが、座禅を組むのは大自然の中がベストとされています。しかし大名はそうそう、山の中に籠ってもいられないので自宅の庭園を大自然に見立てて整備する事が流行しました。

 

これが枯山水(かれさんすい)や水墨画山水であり、日本庭園としてその後も発展していきます。もうひとつ、お茶も禅宗が日本に持ち込んだものであり戦国時代に茶の湯が隆盛をみるのは、ある意味では必然だったのです。

 

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戦国大名のお守り

石山合戦 織田信長、本願寺顕如

 

戦国時代は、有力大名同士の熾烈な生存競争ですから、楽に勝てるカモは序盤で滅亡。あとは、優れた者同士で合戦や謀略にしのぎを削る事になります。

 

実力者同士の激突では勝ったり負けたりが常になるので、自分の実力を越えた部分を神仏を信仰する事で補おうという風潮が生まれ、戦国大名は仏教に加護を求めたのです。

 

そこで戦国大名たちは、名号(みょうごう)(仏の名)・法号(仏門に入った者の名・法名)を記したお守りや本尊を持って合戦に向かいました。

 

戦国武将達に特に人気があったのは、摩利支天(まりしてん)です。摩利支天は陽炎を神格化した神で、実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かないという無敵の特性を持ち戦国武将たちの人気を集めていました。

 

天下を収めた徳川家康

 

徳川家康(とくがわいえやす)は兜の中に小さな摩利支天の像を入れて合戦に臨んでいましたし、前田利家(まえだとしいえ)毛利元就(もうりもとなり)山本勘助(やまもとかんすけ)のような錚々(そうそう)たる戦国武将や大名も摩利支天を信仰しています。

 

強者同士がしのぎを削る弱肉強食の時代だからこそ、戦国大名は自らを守る超自然的な力を信仰し縋りたかったのでしょうね。

 

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どうして戦国大名は出家するのか?

今川義元の右腕として手腕を発揮する太原雪斎

 

武田信玄と言い、上杉謙信と言い戦国大名には出家する人が多いようですが、これはどんな理由からなんでしょうか?

 

それは第一には出家しないと救われないという事があるからのようです。

 

例えば、禅宗の一派、曹洞宗の道元禅師(どうげんぜんし)は在家で戒律を守るより出家して戒律を破る方がマシと言っているそうで、出家しないと救われないとさえ言っています。

 

それ以外にも実利的な理由で戦国大名は出家しました。

 

例えば、出家する事で世俗の権力ばかりではなく宗教の力も動員して領国をまとめる。あるいは、上杉謙信のように敢えて出家して家督を投げうち、家臣たちを動揺させ自分の力を見せつけて家中をまとめるのに利用したケースもありました。

 

織田信長に追放される佐久間信盛

 

また、出家は俗世との縁の切断を意味したので、合戦に敗れたり主君に対して失態を犯した時でも、頭を丸めて高野山に入ると言えば助命されるケースもありました。こうして隠忍自重(いんにんじちょう)し世間の風向きが変われば還俗(げんぞく)して再起するという事もあったのです。

 

餓えた農民(水滸伝)

 

武田信玄は、永禄(えいろく)2年(1559年)に出家していますが、その理由に当時、武田領内に深刻な飢饉があり、出家して代替わりを演出する事で領民の不満を和らげようとした可能性があります。

 

つまり信玄の政治が悪いから飢饉が起きるという領民の不満を逸らす為に、頭を丸めて出家し、これで代替わりして飢饉はなくなりますとアピールしたわけですね。

 

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三国同盟を潰したあの男

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

このように戦国大名が信仰した事により、戦国時代仏教は大きく勢力を拡大しました。ただし、例え出家したからと言って戦国大名達が急に仏のように優しくなるような事はなく、肉も食えば酒も飲み、ウヒョも続けるというように、出家前と変わらない生活である事が普通でした。

 

実際問題、戦国のような世界で仏心を出せば、付け入られて殺害され、本当に仏様になってしまいかねませんからね。結局は、戦乱が治まるまで戦国大名が本当の心の安らぎを得る事は難しかったのです。

 

参考文献:図解戦国武将 池上良太著 新紀元社

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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