戦国時代

戦国大名がかかった病気は今と違うの?

寿命で亡くなる豊臣秀吉

 

超人的活躍と伝説に彩られた戦国大名ですが、やはり人間として生まれた以上、生病老苦から免れる事は出来ませんでした。その中でも病気は医学の発達していない当時、無敵の強さを持つ戦国大名でも非常に恐れる存在でした。では、当時の戦国大名はどんな病気に苦しんだのでしょうか?

 

注意:この記事は歴史エンタメです。記事内容は書籍を元にしておりますが、治療効果を保障したり、医学的知見を与えるものではありません。

 

戦国大名の病気一覧

朝まで三国志2017表情 kawausoさん01 無

 

今から400年以上前に活躍した戦国大名たちは、どんな病気にかかっていたのでしょうか?

ここで、戦国時代に一般的だった病気の種類についてザックリと挙げてみましょう。

 

当時の病名 現在の病名 病気に罹った(とされる)戦国大名
積聚(しゃくじゅ) 丹羽長秀(にわながひで)武田信玄(たけだしんげん)毛利元就(もうりもとなり)徳川家康(とくがわいえやす)
中風 脳梗塞・脳出血 上杉謙信(うえすぎけんしん)池田輝政(いけだてるまさ)北条氏康(ほうじょううじやす)
反りの病 破傷風
疱瘡(ほうそう) 天然痘 伊達政宗(だてまさむね)豊臣秀吉(とよとみひでよし)
労咳(ろうがい) 結核 竹中重治(たけなかしげはる)
マラリア
唐瘡(ばいそう) 梅毒 結城秀康(ゆうきひでやす)加藤清正(かとうきよまさ)黒田官兵衛(くろだかんべえ)

 

忙しくて過労で倒れる明智光秀

 

このように名だたる戦国大名が癌や脳梗塞、脳出血のような、現代でもお馴染みの病気で苦しめられていた一方で、天然痘や梅毒のような今日では治療可能な病気で死んだ戦国大名も多くいる事が分かります。

 

癌で死んだ戦国大名

自らの死を秘密にした武田信玄

 

癌で死んだと言われる戦国大名には、丹羽長秀、武田信玄、毛利元就、徳川家康がいます。いずれも50歳以上で死去しているのが特徴です。

 

丹羽長秀

 

中でも、織田信長と豊臣秀吉に仕えた丹羽長秀は、癌の苦痛に耐えかね自ら腹を割いて腫瘍を取り出したというグロい逸話も残されています。

 

癌は高齢になり、免疫機能や遺伝子の癌抑制機能が衰えると罹りやすくなるそうです。癌で死んだ戦国大名は裏を返せば、それなりに天寿を全うしたとも言えます。

 

【無敵の騎馬隊を率いて天下を夢見た武田信玄の生涯】
武田信玄

 

脳梗塞・脳出血で死んだ戦国大名

亡くなる上杉謙信

 

脳梗塞・脳出血で死んだとされる戦国大名は、上杉謙信、池田輝政、北条氏康がいます。これらの病気では、塩分や糖分の取り過ぎにより血管がボロボロになって弾力を失い高血圧となり、なにかの拍子に脳の血管が破れ死に至ります。

 

脳梗塞・脳出血は、現在でも日本人の死因上位にランクしており極めて現代的病気です。

 

kenshin-uesugi-sake(上杉謙信は酒大好き)

 

上杉謙信は大酒飲みであるばかりか、塩を肴に酒を飲んだという高血圧まっしぐらの生活でしたし、池田輝政は中風に罹った後に、徳川家康より家康ブレンドの中風の漢方薬、烏犀円(うさいえん)をプレゼントされた事が記録に出てきます。北条氏康も中風に倒れ、呂律も回らず、子供の見分けもつかないなど脳にダメージを受け、意思疎通がままならない様子が記録されています。

 

北条氏康や池田輝政に酒豪逸話は見当たりませんが、当時の食事は全体として漬物が多く、また合戦で多くの塩分を汗として流す戦国大名は、塩分を多く摂る必要がありました。このような事情から脳梗塞や脳出血も多かったのでしょう。

 

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天然痘に罹った戦国大名

伊達政宗 

 

天然痘は、ウイルス性の感染症で古くから存在します。日本には、すでに奈良時代までに大陸を通して伝来していて、時に数百万人の命を奪うような大流行をしています。

 

戦場で活躍する伊達政宗

 

また、治癒しても顔にボツボツとあばたが残って容姿が醜くなるのも、天然痘が恐れられた理由の一つです。伊達政宗は子供の頃に天然痘に罹患し、高熱で右目を失明し、人生に暗い影を落としていますし、豊臣秀吉も幼い頃に天然痘に罹患して治癒したのだそうです。

 

欧州でもエリザベス1世が29歳で罹患しています。肖像画の彼女の肌がとても白いのは、顔のあばたを隠す為、白粉(おしろい)を塗りたくったからだそうです。

 

結核で死んだ竹中半兵衛重治

竹中半兵衛

 

戦国大名ではありませんが、羽柴秀吉に仕えて天才軍師と呼ばれた竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)は、結核に罹って死んだという説が有力です。竹中半兵衛は色白の優男であったそうで、或いは若くして結核に罹患していて、軍師の重責が健康には負担になり、病状が悪化したのかも知れません。

 

そうだとすると、秀吉に仕えた事で半兵衛は寿命を縮めてしまったのでしょうか?

 

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梅毒で死んだ戦国大名

ガレオン船(世界史)

 

梅毒は大航海時代により、新大陸より持ち込まれ世界中に広まったと考えられています。日本でも戦国時代の前半である1512年に上陸した記録があります。

 

黒田官兵衛

 

結城秀康、加藤清正、黒田官兵衛のような戦国の刹那に生きる戦国武将や大名は戦場で遊女を介して罹患したと考えられますが、性器に症状が出る事から経験的に性交渉が疑われ、徳川家康は遊女に接する事を自ら誡めていたようです。

 

しかし、家康の子である結城秀康は梅毒に罹患し、鼻の軟骨が炎症を起こし腐って落ちてしまう程に病状が悪化し死亡しました。恐ろしい梅毒ですが、江戸庶民の梅毒罹患率は50%にも上ったそうです。

 

戦場につきもの 恐ろしい破傷風

 

戦国大名は、危険な戦場にはそんなに出ないので破傷風で死んだケースは見受けられませんが、兵卒にとっての破傷風は恐ろしい病気でした。破傷風菌は土壌の中に存在し、これが刀傷や矢傷を負った傷口から侵入し、筋肉を痙攣させる毒素を放出します。

 

感染すると全身の筋肉が硬直して痙攣を引き起こし、まるでブリッジをするように背中が反り、ひどい場合には背骨が折れてしまう事さえあります。そのため反りの病という病名を名付けられました。

 

しかも痙攣は筋肉組織だけに留まるので、意識混濁はなく患者は意識がハッキリしたままで長時間の激痛と呼吸困難に耐える事になるので、戦場では恐れられた病気です。

 

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戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

戦国大名がかかっていた病気について解説してみました。今日の日本では早期に治療すれば、ほぼ死ぬ事はない天然痘や梅毒、現在でも多くの人を悩ます脳梗塞や脳出血など、色々な病気がありましたね。今も昔も、病気は怖いです。

 

参考文献:図解戦国武将 池上良太著 新紀元社

 

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【教科書では読めない裏話満載の戦国時代特集】
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