人生には3つの坂があるそうです。1つ目は上り坂、2つ目は下り坂、そして3つ目はまさか…つまり、人生には意表を突くようなハプニングがつきものという教訓ですね。さて、弱肉強食の戦国時代は、敵の意表を突くまさかが繰り返された時代でした。しかし、それも狙いすぎると悲惨な結果に終わる事が多々あったのです。
大胡城陥落を狙う由良信濃守成繁
天正2年(1574年)から同5年までの冬の時期に、上野国衆、新田金山城主、由良信濃守成繁は、大胡城主、北條高広の城を狙っていました。そして、北條家臣の宮内と青木を調略で寝返らせ、ある年の正月に由良の軍勢を城内に引き入れると密約を取り交わします。
由良成繁が狡猾なのは、乗っ取りの時期を冬の寒い時期に指定した事です。北関東の冬は寒く焚火もなしに野外で夜を越すのは非常な困難を伴いました。当時でも、冬は月夜の日でもない限り夜襲はないというのが常識だったのです。由良成繁は、そのまさかを突き、冬の闇夜に大胡城から3,2キロ離れた宮という森の中に忍びと兵士を伏せていました。
大胡城主、北條高広は、そんな計略が巡らされているとは少しも気づかずに、深い眠りについていました。まさに、大胡城は落城の危機だったのです。
まさかの夢のお告げが北條高広を救う
午前2時、北條高広は不吉な夢を見てはね起きました。それは、不気味な声で、「これから変事が起きるというのに寝ているとは何事か!」と高広を叱責する声でした。
しかし、あたりを見回しても変事どころか、真っ暗で寝静まっています。
(なんだ、ただの夢か、バカバカしい)
高広は思い直して、もう一度寝床に入ります。すると、今度は、薄墨色の僧服を来た老僧が高広の枕元に立ち、高広の腹を踏んづけます。
「きさま!わしがさっき変事が起きると忠告してやったのに、それを無視してまた寝るとは、なんと不用心な奴か!オラ!起きろ、さっさと起きろ!」
二度も悪夢を見た高広は、さすがに眠気も吹き飛び、帯を直すと刀を手に取って起き上がり、お城ばかりか、城下町の人間まで叩き起こしました。そして、鉄砲を威嚇射撃させ、ホラ貝を盛んに吹かせて、大胡城の備えは万全であると外に向かいアピールしたのです。
悪夢の前に由良成繁の野望は潰える
哀れなのは、宮の森で待機していた由良成繁の配下の兵士と忍び達でした。真冬の野外に長時間放置された兵士の中には、低体温症を起こして凍死する兵士が何名も出てきていたのです。
それでも、もうじき、宮内と青木から合図があると我慢して待っていたところが、突然の鉄砲音やホラ貝の音でした。
(ダメだ、謀略がバレた、退却だ)
由良の兵士は、凍死した仲間を置き去りにして、新田金山城へと退却していきました。
枯草の中で凍死していた悲惨な忍び
翌日、大胡城の騎馬武者が日課の草さがし(忍び狩り)に向かうと、宮の森の中に、枯れ草が積まれた場所がいくつかあり、そこに朝日が差し込んで、何者かが隠れている様子を見てとりました。
(これは敵の忍びかも知れぬ)
騎馬武者は、お互いに細心の注意を払いながら枯草をどけると、そこには寒さに耐えかねて凍死していた哀れな忍びの亡骸が転がっていたのです。凍死した遺体は6~7体もあり、かなりまとまった忍びか兵士がそこにいた事を裏付けていました。
騎馬武者は、この事を城主の北條高広に報告。そこではじめて高広は、昨日の老僧が自分に危機を伝えてくれたのだと知ります。高広は、急いで城下町の人間を城内に入れて敵に通じた家臣がいないか探索し、その結果、宮内と青木があぶり出され、成敗されたと考えられます。
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