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伴与七郎とは?松平元康に味方し鵜殿長照を討った凄腕甲賀忍者【どうする家康】

15/02/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

石垣を登る忍者

 

伴与七郎(ばんよしちろう)()は松平元康が鵜殿長照の守る三河上ノ郷城を攻めた時に協力した甲賀忍者です。その活躍は絶大で上ノ郷城(かみのごうじょう)に侵入した上で火薬を用いて城内から火を出し、謀反が起きたと誤認した城兵の士気を下げた上で城主の鵜殿長照を討ち取り、さらに長照の長男を捕らえる大手柄を揚げました。そんな凄腕忍者、伴与七郎は何者なのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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甲賀の多羅尾光俊の配下

戦う忍者

 

伴与七郎は松平元康の家臣である松井忠次が甲賀の多羅尾光俊に協力を依頼して派遣された甲賀忍者であるようです。もっとも、与七郎が甲賀忍者であるとした記載はありませんが、火薬を使って城内に火を起こしたり、城に忍び込むような軽業は武士の仕業とは考えにくく、忍者の仕事の一つであるようです。

 

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ボスである多羅尾光俊とは?

 

伴与七郎の上司にあたる多羅尾光俊とはどんな人なのでしょうか?

 

光俊は近江国甲賀郡信楽庄小川(おうみこく・こうがぐん・しがらきしょうおがわ)の住人で当初は南近江の守護、六角氏に属していましたが六角氏の没落後は織田信長に味方しました。

 

伊賀越えを敢行した徳川家康

 

 

本能寺の変後、堺にいた家康が脱出を図った時、光俊の五男山口光広が家康と同行していた長谷川秀一と交友があったので、家康を援護する事に決め、嫡男、多羅尾光太(みつもと)と共に家康を信楽に招き入れ、家康の伊賀越には、三男、多羅尾光雅や光広に甲賀衆を加えて伊勢白子浜まで警護させたそうです。

 

こうしてみると、多羅尾光俊自身は忍者ではないようですが、その配下に甲賀衆を従えていると見られる事から、伴与七郎も甲賀忍者と考えてよさそうです。

 

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伴与七郎の一族は?

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三河後風土記によれば、伴与七郎は(いみな)資定(すけさだ)と言い、同族とみられる人物として、伴太郎左衛門資家、伴伯耆守資継(ばん・ほうきのかみすけつぐ)の名前が見られるそうで、いずれも一族として上ノ郷城攻めに参加したのかも知れません。

 

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大活躍から家康より感状を受ける

徳川家康の馬印と徳川家康

 

伴与七郎の上ノ郷城攻めの活躍はほとんど独り勝ちと言ってもよいものです。首尾よく城に忍び込み、火を起こして城内を混乱に陥らせたばかりか、落ち延びようとする城主、鵜殿長照を討ち取り、その嫡男である氏長と氏次の兄弟まで捕らえています。

 

当時、元康は妻子を駿府の今川氏真に取られており、なんとか取り返したいと考えていましたが、鵜殿氏は今川義元の血を引く家系である事から元康は人質交換を氏真に持ちかけて、妻子を取り戻す事に成功しています。元康は伴与七郎の活躍に感謝したらしく、感状を発行してその働きを賞賛しました。

 

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その後が一切不明な伴与七郎

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上ノ郷城を落城させ、今後の活躍が期待できそうな伴与七郎ですが、不思議な事にその後の記録が一切ありません。主君らしき多羅尾光俊については後々、8万石の大名に出世した事が分かりますが、与七郎にはこれという記録もないのです。

 

もしかして、与七郎はそれなりに年齢を重ねた老齢の忍者で途中で病死したのか?それとも、別の任務でしくじって命を落としたのか?その消息は忍者のように分からなくなっています。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

上ノ郷城を陥落させ鵜殿長照を討ち取り、その子まで捕らえ家康の悩みのタネだった駿府に捕らえられた妻子を取り返すまでの道筋まで描き出した甲賀忍者伴与七郎、城に侵入し火薬を使うなど、その手法は明らかに凄腕忍者ですが、活躍はただの一度であり、後は歴史の闇に消えてしまいました。

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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