忍びはどうして夜中に活躍するの?【素朴な疑問】

06/01/2021


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ドラマのような忍びの活躍

織田信長

 

司馬遼太郎の歴史小説「(ふくろう)の城」には、豊臣秀吉暗殺の為、大阪城に潜入する忍者、葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)が登場しますが、史実にも、織田信長の近くにまで接近した忍びがいました。

 

天正二年(1574年)5月、織田信長は滞在していた京都から急遽(きゅうきょ)岐阜に帰還します。理由は武田勝頼が遠江に侵攻し、徳川方の高天神城を包囲したとの報告を受けた為で、岐阜城に入って家康支援の準備に入ったのです。

 

大軍を率いて攻める武田勝頼

 

しかし、その岐阜滞在の途中、6月6日、武田勝頼が放った多数の忍びが、岐阜城の門を乗り越え、城内のどこかの曲輪にまで侵入したのです。この時、岐阜城の警備は手薄であり、忍びはこのまま信長の元まで到達する可能性がありました。

 

幸い、途中で横井時泰(よこいときやす)なる武芸の達人がそれに気づいて忍びと斬り合いになり、これを切り伏せたので、残りの忍びは失敗を悟り散ってしまったようです。

 

nobunaga-oda-Honnoji(本能寺の変の織田信長)

 

信長はヒヤッとしたようで、横井時泰に感状(かんじょう)を与えて褒め、より城の警備を厳重にするように命じています。しかし、もし、横井が突破されたら岐阜城内に火が放たれ混乱の中で信長も殺害され、史実より8年早く歴史に激震が走る可能性もありました。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

忍びが夜に活動した理由は、夜が無法地帯として認識されていた事。そして、忍びに関しては夜中に活動する事を雇い主の戦国大名が認めていたからです。一切の法的保護が期待できない中で、実力だけで他国の忍びと激闘を続ける忍び達。まさに、夜はアウトローである忍びの世界だったのですね。

 

参考文献:戦国の忍び 平山優 角川新書

 

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はじめての戦国時代

 

 

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