今回ご紹介するのは、戦国時代の平均身長に付いて。戦国時代は食事事情もあり、現代よりも平均身長は低かったと言われています。しかしそんな中でも個人さと言うのはあるようで……というか、大きかったようで。
その平均身長から大きく逸脱する人物も多くいたと言われています。今回はその戦国時代の平均身長と、現代にも通じる悩み?もご紹介したいと思います。
この記事の目次
戦国時代の平均身長は今より低い!?
まずは戦国時代の男性の平均身長、これは約156㎝ほどとされています。もちろん現代において戦国時代の平均身長を調べる手段は限られていて、これは出土した遺骨や残されている記録、もしくは身に付けている鎧などから算出したデータであり、一片の曇りなく完璧なもの、という訳ではありませんが、貴重なデータであることに間違いはありません。こういった残されたものから偉人たちのデータを算出しようとする熱意は凄いものですね。
身長を伸ばすには何が必要?食事の変化から平均身長は低下した?
さて、戦国時代からもっと遡ると、平均身長はもっと高かったとされています。これには狩猟による食事が主であったために、タンパク質の供給率が高く、そこから農耕による米の主食化が始まるとそちらに食の偏りが起こり平均身長が低下したと考えられています。
ただ身長は本人の食事だけでなく、生活習慣から遺伝などの影響も大きいため、この食事全てが原因とは言えないでしょう。現代でも身長を伸ばすにはバランスの良い食事と適度な運動、適切な睡眠、と言われるのはこのためですね。
身長が小さくったってマッチョマンが多かった!
さあ戦国時代の平均身長が今より低いとなると、ドラマなどで見かける大人数入り乱れての戦闘はどんなものだったか……今より威圧感は低かったのでは……?なんて思ってしまいそうですが。戦国時代は現代と違い、移動するだけでも長い距離を歩き、物を運ぶ時は基本的に人力、武器も甲冑もとても重い。
生活するだけで筋力が今よりも鍛えられる生活でした。このため平均身長は低くとも、現代よりは逞しさに置いては秀でている人物が多かったことでしょう……というか、必然的にそうなってしまう環境にあったでしょうね。
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※閑話休題※昔の武将とお馬さんたちの大きさ
ここでちょっと雑談を。戦国時代において、戦場時から常日頃、よき友として存在していたのがお馬さん。この馬という生き物は本当に大きくて逞しいのですが……日本における在来種と言われる馬はそこまで大きくなく、現代ではポニーと呼ばれる小柄の馬だったと言われています。このため大河ドラマなどで使われている馬には
「大きすぎる!こんな馬はいなかったはずだ!」
というクレームが呈されることもあるのだとか。しかしそうは言っても現代と戦国時代の平均身長の違いから考えると、馬の大きさとの比率はあまり変わってはいないと思われるのですけれどもね。
戦国時代長身メンバーの一人・蝮の子、斎藤義龍
話を戦国時代に戻しましょう。戦国時代における平均身長は156ほどと言いましたが、美濃の蝮、斎藤道三の息子である斎藤義龍はそれを逸脱した人物の一人で、その身長は六尺五寸とされています。これは約197㎝、2m近い大男だったのですね。義龍の母親である深芳野もまた身長が高く、六尺二寸あったとされるので、これはほぼ遺伝性のものでしょうね。しかしこの斎藤義龍、身長についての面白い話が残されています。
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ポニーと呼ばれるお馬さんは、肩までの高さが147cm以下とされています。この小柄なお馬さんサイズが戦国時代における馬のサイズとしても、戦国時代はそもそも平均身長が今よりも低かったので、そこまで違和感はない。……でも、規格外に高身長な相手の場合は?
前述したように斎藤義龍、2m近かったため、馬に乗ると足が下に付いてしまったと言われています。このため馬に乗った姿がまるで「足が6本ある」ように見えたとか!何たる恐怖か!蝮の子なのに足が多いぞ!?……まあそう見えてしまった、という話であり、事実とは異なりますが。現代でも高身長の男性、特に脚が長い人はズボンの裾が足りずに苦労してしまう……なんてある意味贅沢な悩み、一部の戦国武将たちも抱えていたのかもしれませんね。
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現代における遺伝子の研究と、戦国時代の覇権争い
最後にとある研究のお話を。ざっくりと説明すると「身長は二つの遺伝子の影響が関係する」「この影響が強く出るにはアレル頻度が低い方が有利である」そして「西洋ではアレル頻度が低い集団が優勢であり、日本はアレル頻度が低い集団はほとんど残っていない」という面白い研究結果が出ています。アレル頻度が低い集団が淘汰されていった詳しい理由は分かりませんが、この遺伝子は肥満に関係しやすい遺伝子のため生活習慣病を誘発しやすく、日本の環境では生き残りにくかった可能性も考察できます。
因みに斎藤義龍も長身ですが、その奥方である浅井家の姫君も体格がよろしかったとか。その姫君の弟(もしくは甥)である浅井長政も、絵姿では体格が良く、更にその孫に当たる豊臣秀頼の体格が立派だったために対面した徳川家康は「今の内に豊臣をどうにかしておかなければ」と焦り、大坂の陣が起こった……という説もあるため、体格が良いということはそれだけで忌避され、淘汰される時代だったのかもしれませんね。
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戦国ひよこライター センのひとりごと
さて身長は主に食生活だけでなく、遺伝による所が大きいと話しましたように、古代でも「高身長の男性と女性から高身長の子が生まれる」……という、何だかきな臭い感じの実験は考えられていたようで。中国の皇室ではある時、高身長の女性だけが選び抜かれた、という話もあります。
「秀吉は自分の身長の低さをごまかすために絵姿を大きく描かせた(だからアンバランスに見える)」という話もあることを考えると、昔からやはり「体格」はある程度気にするのが世の常であったのかもしれませんね。ちゃぽん。
参考:日本人のからだ健康・身体データ集 美濃国諸家系譜
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